ヨーロッパとアラブ、差異のイデオロギー

米国籍パレスチナキリスト教徒であり、イスラエル/パレスチナ二国家分割案の創始者の一人として10年以上パレスチナ国民評議会(PNC)の議員としてパレスチナ解放運動を担っていたエドワード・サイードは、イスラエル国家が行ったユダヤ人の意味づけ=ユダヤ性なる他のあらゆる国家と異なる特殊性からくる「ユダヤ人か非ユダヤ人か」という差異こそが決定的な重要性をもつと認識し、それを「差異のイデオロギー」と称した。そうした「イデオロギー」は、もっぱらリベラル左派シオニストによって担われており、「イスラエルユダヤ人とパレスチナの非ユダヤ人とのあいだの紛争は、決して論理的・哲学的な用語で議論がなされたことがない。」という。また上記で引用したような「原罪」的アイデンティファイ=「カインのしるし」的なヨーロッパ出自政治に巻き込まれて語られる文脈でしか認知されないアラブの困惑を記す。

おそらく、パレスチニアリズムの詳細かつ公正な政治的分析を妨げている最も深刻な心理障壁は、ホロコーストの感情的重圧であろう。それが誰の政治的権利も妨げない限り、とりわけ完全にヨーロッパの共謀であった出来事とまったく無関係の人々の政治的権利を妨げない限り、あらゆる文明人が当然のごとくこの重圧に屈伏するに違いない。すべての西洋人があのおぞましい歴史の一節に対して(明らかに)感じている─または感じているふりをするよう駆り立てられている─罪悪感や恥辱のようなものを、アラブ人がいっさい何も感じていないという事実は、いくら強調しても強調し足りないように思える。したがって、パレスチナのアラブ人にとって、「ユダヤ人」をイスラエルとその支援国に結びつけて語ることや、イスラエルによる占領とドイツによる占領とを対比させることはタブーでない。(ユダヤ人受難の一方的報道をする)ジャーナリズムに対して激しい非難を浴びせることもまた同様である。

エドワード・サイード収奪のポリティックス

その「差異」への無頓着さは、親ユダヤ主義・フォロワーといった連中だけでなく、「自身とその窮境を自己流に把握しているにすぎない」パレスチナ自体の孤立と、たもとを分かった後にアラファトの批判者となっていくなかで、ハマスイスラム聖戦といった原理主義者達にも批判の目をむける。「『武装闘争』といった陳腐なスローガンの使用に対して、また政治的にパレスチナ大義を推進することなく、ただ無辜の人々に死をもたらすたけの革命的冒険主義に対して、わたしはきわめて批判的であった」『遠い場所の記憶 自伝

ハマスの力が異様に誇張されているのは、西洋の政策とジャーナリストの論評を強く支持する「イスラームの脅威」熱のせいたと私は強く確信している。確かに彼らは西岸地区やガザ地区の人々を集めて「ほとんど効果がない」デモやストライキを行ったり、少人数を動員してイスラエル兵士を襲撃したりはできる。だが、結局、彼らの主張はイスラエルの占領の抵抗であり、指導者が特に際立っているとか印象的だとかいうことはない。彼らが書くものと言えば、かってのナショナリズムのパンフレットを「イスラーム風の」言い回しを使って焼き直したものだ。何と言っても最悪なのは、彼らが引き起こす「脅威」なるものが、イスラエルPLOアメリカの政策担当者の取引材料となり、それがパレスチナの人々にさらに譲歩を迫り、イスラエルに有利な協定ができあがってしまうことだ。

さらに「右/左翼」党派政治の延長戦というヨーロッパ的身勝手なアラブ・パレスチナ支援といった、反イスラエル・フォロワーにもある根源的なものだと、容赦なく彼は指摘する。

パレスチナ人の孤立とは、何よりもまず向かうべき方向を見失ったことであった。いまになってみるとそう思えてくる。前々から社会的な地位をもたない「難民」だった者が、1967年以降、難民にとしての地位以外は何も失うもののない政治化された意識となったのだ。その地位はたいした所有物ではないし、現在のところその手にある政治的所有物は唯一それだけだ。…かって、アラブ人もイスラエル人も、それ以外の世界も、誰一人としてパレスチナ人の窮境を完全に把握していないことを知って、パレスチナ人全体が怒り狂った。だがパレスチナ解放人民戦線PFLPファタハのような組織、さらにはベイルートパレスチナ研究所のような独立した組織さえも、自身とその窮境を自己流に把握しているにすぎないのだ。
パレスチナ運動の意味をより詳しく論じる前に、パレスチナ問題に外部から共感を寄せる二種類の人々について完結に述べておいたほうがよいだろう。第一の人々は、いわゆる現実的な観点をもつ、一部のシオニストと多数の非シオニストだ。この観点には、悲劇という言葉がうんざりするほど頻繁に登場する。その言い分はこうだ。ユダヤ人が、苦心の末獲得したものに対して紛れもない権利を有する一方で、ヨーロッパの反ユダヤ主義に何ら加担しなかった150万人のアラブ人が、この大事業の犠牲にならなければならなかったのは悲劇である。これが悲劇の実態なのだが、人生は続いていかなければならない。いまこそ理性と交渉が打ち勝つ時である、と。この論の厄介な部分は、四大国による調停と同様、きわめて非西洋的な政治状況に対して、西洋的な美的規範を押し付けている点にある。別の話題でのヤスパースの率直な言葉を借りれば、悲劇という呼び名では足りないのだ。
もし悲劇が存在したのだとしたら、それは、セム族が西洋の手で苦しめられるうちに共有してきた過去のなかにある。すなわち第二次世界大戦時のユダヤ人や西洋に支援されたシオニズムの力によって追い立てられたパレスチナのアラブ人のことである。しかしながらパレスチナの現実は残存している。そこで必要とされているのは、悲劇を受け入れることではなく行動なのである。

パレスチナ解放運動が提起した批判は「強制的な分離や不平等な特権に依拠するものではない、知識や共存や正義といったものをつくりだす実質的な必要」が前提であったため、それに対するシオニズム側の反動は「ユダヤ人と非ユダヤ人の分離の実行が、分離そのものを目的としてものごとを強制的に分離するような認識論的枠組に基づいてなされた、複合的なイデオロギー形成と結びつくようになった」と、指摘する。

もう一種類の人々とは国際的急進派左翼のことだ。その共感を受け取りたいと望みながらも、パレスチナ人たちは─私も含めて─多くの懸念を示している。理由の一つは、左翼がはるか外部からイスラエルに反論を加えていることにある。必要とされているのは逆に、状況の内部からの調停案なのだ。イスラエルがもともと西洋植民地主義の産物であったと示すことはできたかもしれない。だがそうすることによって、イスラエル帝国主義のようなものが存在するという事実や、それがいまやすべてのパレスチナ人に対して西洋植民地主義以上に直接的な影響を与えているという事実が変わるわけではない。西洋植民地主義イスラエル人に手を貸したために(これはイスラエルを急速に持ち上げたが、長い目で見るとよいことはなかった)、彼らはパレスチナのアラブ住民に対して、いつも歴史的・政治的に冷淡で抑圧的な立場をとるようになり、同時に領土的主権のある地位を装った、妙にゆがんだ立場にとどまるようになった。いまパレスチナ人にとって問題なのは、イスラエルの存在がはらむ厄介な即時性であり、ヨーロッパやアメリカの植民地主義が内容する矛盾ではない。
西洋で発達した政治分析が、結局のところどのようにしたら非西洋にあてはまるのか、私にはまったくわからない。例えばアラブ人左翼と同様、イスラエル人左翼もまた存在し、両者はいまだ理論的根拠ではなく、より直接的なナショナリズム的根拠に基づいて対立している。私はこの問題に関して何の答も持ち合わせていない。だから、すべてのいわゆる国際主義的な概観─政治的なものにしろ、心理学的なものにしろ、美学的なものにしろ─が抱えている困難の一症例として、この問題を挙げている。最終的にいかなるパレスチナ人も、左翼に関して三つのことを忘れてはならない。第一に、パレスチナ分割案や、1948年の国連によるイスラエル建国の際に合衆国に賛同を示したのが、ロシアとその衛星国だったということ。第二に、近頃左翼が、イスラエルと戦うアラブ人を支持する反ユダヤ主義者(彼らこそが終わりなき苦難の元凶である)に加わったり、取って代わったりするさまに、気がかりな対称性があること。第三に、パレスチナの新たなイデオロギーが、西洋の左翼にほとんど何一つとして負っていないことだ。西洋の左翼については、若干の例外を除いて、人種主義、紛争、そして自らの国際主義(そのすべてもしくはいずれか)に関する、支配欲にまみれた懸念や軋轢で身動きがとれなくなっていたため、1967年の戦争でパレスチナ人に貢献できる部分はほとんどなかった。

あくまでも「左翼」はヨーロッパ産の国家という体制の内側の反体制という「差異のイデオロギー」しょっているのだから、非ヨーロッパ側からこのように批判されてもしょーがない。が、しかし、そうきっぱりも切って捨てることのできえないサイードのヨーロッパ/アラブの「差異のイデオロギー」をくぐり抜けてきた自身のボーダー的立場は、「差異のイデオロギー」の解を以下のように結ぶ。

もし、良心と良識が告げるものを人々に証言させることに少しでも成功できたなら、これまで理性や人間性によって制御されてこなかった差異のイデオロギーの力を緩和するために何かをしなければならない。
その唯一の方法は、イスラエル人とパレスチナ人の関係に典型的に示されている差異の問題をできる限り根本的に、徹底的に、そして多様なかたちで、把握、理解することだ。独自に連続性と完全性を備えた国家、社会として、イスラエルの歴史と事実を考慮しなければならない。急いで付け加えておくが、これがイスラエルパレスチナ人に行ったことをただ羅列するのではなく、それ以上のことを意味している。パレスチナ人が「イスラエルの奇蹟」に対する多くの称賛と歓呼の声に同意できないとしても、ユダヤ国家がユダヤ人自身に対して社会的、政治的、文化的に勝ち得た素晴らしい成果を評価するとはできる。
そして、イスラエル国家にまつわる強力で非常に切実な二つの見解を区別しなければならない。一方は、現在の構造と行為に対する無条件の同意であり、もう一つは、大部分のパレスチナ人が感じていることだが、現状の拒否である。双方の考え方を支配している差異のイデオロギーを実体化してしまうと、ここ約20年間、事実上停滞してきた状態をさらに引き延ばすことになるか、あるいは、敵対者のどちらかの滅亡を是認することになってしまう。しかし、より創造的な「差異」の意味を求めれば、この関係のなかに新しいダイナミクスが作りだされることを期待できるだろう。すなわち、ユダヤ人とパレスチナ・アラブ人の歴史的、文化的、物質的な差異は認めるが、どちらかの経験や現状に特権を与えることを拒否するならば、新しいダイナミクスが作りだされるだろう。選ぶべき道ははっきりとしている。困難なのは、それを世界中に理解してもらうことだ。この課題のためには、「支配」を伴わない「差異」という新しい理論から始めなければならない。