ジェンダーイシューとしてのスカーフ着用問題

今度は個人的見地から見てみると問題は、当人/ムスリム/社会の3つの段階にある。個人的には、端的にいって、ムスリム女性に対してスカーフを取れとは、セクシュアル・ハラスメントに値する。当人が文化的に「慎み」の意味で覆っているものを公衆の面前で取れとは、スカートを脱げと強制するのと同等な、人格権の問題だということ。
ムスリム集団的には、女性のスカーフだけが問題とされるそのようなモラル強制は、男女平等論理的不整合である。ムスリム男性の身体装飾的表象としては、顎髭があるのだが、これはトルコ以外では「ファッションスタイル」の一つとして不問になっている、男女差別的なところだ。
社会的には、スカーフを脱がせることは宗教・男性社会の抑圧からの女性解放だと信じてやまない、ヨーロッパ/フェミニズムのパターナリスティックである。ヨーロッパ的論理では男女平等が年頭にあってスカーフ着用を問題視するのであるが、それがターゲッターにとっては恥辱=セクハラでしかない。トルコでやっと出てきた判決理由で「スカーフには男性から着用を強制される場合があることから、男女平等に抵触する。」というが、少なくとも原告女性は自らの意志でスカーフを着用してるのである。
どうして彼女達は、そこまでしてスカーフを着用しようとするのか?イスラームの戒律では、女性としての性的特徴を表している身体部位を隠せということだけで、どこをどこまでどのように隠すかについての具体的指示は、コーランにはない。またキリスト教と違って、イスラームには教会組織がまったくないので、自分がムスリムとして何をどこまで実践するのかということは、実は誰も問えない。そもそも「公と私」の区別がありえない。なので、自分の考えでスカーフやベールを身にまとうこととなり、基本的には個人的見解によって、その仕儀も自由に変更しているものである。そして実は、今日的にスカーフを被ることは、男性からの抑圧ではなく、むしろ男性からの現代的な性的視線から逃れる為の意味がある行為だと、内藤正典は指摘する。

父親からの自由を得るために、イスラーム法学の理解を深めて、スカーフを被ってしまう。それによって、それ以上の自由の束縛を拒み、父親の無知を指摘する女性がでてきています。そうすると立場は逆転してしまう。スカーフを被ることによって、自由を手にすることもあるのです。
コミュニティ内部の争いにもこの原理が使われる。移民である彼らを受け入れたヨーロッパ社会に対しても当然使う。世俗主義により個人の自由を重視する形で統合を進めようとしたフランスに対しても、あるいはコミューナルな統合を前提にしたイギリス、アングロサクソン型にしても、実はムスリムはどちらにも対応できるのです。決してフランス型に対応できない訳ではない。フランス社会に対しては、身体の露出を大きくしたら女性が解放されるなどという馬鹿げた論理はありえない。むしろ、身体の過剰な露出こそ、女性の性を商品化する行為ではないかとフェミニストに向けて反論してきます。

内藤正典神の法vs.人の法―スカーフ論争からみる西欧とイスラームの断層

しかしそれが理解されず、「ムスリム女性=ムスリム男性によって虐げられた存在」というステレオタイプのシンボルとして、目につく「スカーフ」がクローズアップされてしまった。エリザベス・バダンテールは、スカーフ禁止法こそが女性を性差別の抑圧から解き放つプラス・シンボルの意味を付与されるとまで言う。その論理は、スカーフ禁止法に反対することは男女平等に反対すること、すなわち反民主的行為であるという世論へと誘導した。
このパターナリズムには、実は先例がある。それが1958年のアルジェリア独立戦争だ。戦争終結時、現地では独立に反対する人々が集められ「フランスへの帰属」を主張する集会の中で、ヴェールを被ったムスリム女性たちが檀上に上がり、大衆の面前で「フランス女性」の手を借りてヴェールを脱ぐという儀式がおこなわれた。以後アルジェリアではムスリム女性解放の名の下に、同様の儀式が行われたり、ヴェールが焼かれたりした。その手をかした「フランス女性」とは、軍人の妻たちが設立した「女性連帯運動」メンバーであり、国際社会から非難に晒されかねない、「独立運動の弾圧」が、「ムスリム女性の解放」や「非文明社会の近代化」という「使命」、そして「正義」に変換されたフランス軍による、国策フェミニズムを利用したプロパガンダであった。しかしそのセレモニーが、西洋世界に広く報道され、抑圧の象徴としてのヴェール&スカーフを深く印象づけた。