ムハマンド風刺画事件

ヨーロッパを駆け巡ったムスリムがらみの事件の二つ目。
事の発端は、デンマークで勃発した。子供向け絵本『クルアーンとムハマンドの生涯』用の挿絵を依頼したマンガ家達が、預言者ムハマンド*1を描く宗教禁止行為に抵触することを恐れて辞退した。だがイスラーム聖典クルアーンにもハーディースにも「肖像画禁止」という戒律文言がある訳ではない。あるのは「間違った情報の伝達」の戒めである。それが転じて、具体的記録がない預言者等の肖像はどう描こうが「正しく」ないという解釈のようだ。但しこの戒めを順守しなければならないのは、ムスリムだけか異教徒にも及ぶのかは、ムスリムによっても判断が分かれるようだ。
事件化したのは、作者コーレ・ブルイトゲンが上記のようなことで困っていると、中道左派新聞『ポリティケン』紙が報道したことによる。そのライバル紙でありデンマークで発行部数トップの保守系新聞『ユランス・ポステン』紙が、「自己検閲に抵抗する」という名目で風刺画を公募し、2005年9月『ユランス・ポステン』紙上に掲載された応募12点の「ムハマンドの風刺画」掲載した。中でも2点の作品が、ムハマンドを侮辱した表現だと問題となった。
ムスリムを中心として激しい抗議・デモが勃発したが、首相は「表現の自由」を盾に「謝罪する必要もなければ議論する必要もない」と会見拒否し、デンマーク政府も「表現の自由」を盾に掲載擁護に回る。これに国内の何紙かが賛同し「風刺画」を転載した。日本では理想的福祉国家としてイメージが高いデンマークは、ルター派フォルケキアケ(国民教会)が国教として憲法に明記されている保守的な面があり、女王もイスラームに敵対的な世論を支持する発言をしている立憲君主国である。

預言者に対する「冒涜」によってイスラーム教徒の出方を試し、その「試金石」を通じて「反民主主義的な存在である」ということをアピールする狙いがあったと思われる。このように排他的な感情を先導することが典型的なポピュリストの戦略であるし、選挙結果を見る限り、それはある意味で「成功した」かもしれない。近視眼的な見方をすれば『ユランス・ポステン』紙の読者層は伸びたし、デンマーク国民党(1995年に結成された「ネオナョナリズム」を掲げる親右翼、EU加盟反対)の支持率も順調に上がっている。ただ、いずれの狙いも国内に向けての戦略だったとすれば、大きな誤算は海外での反発であった。「デンマーク語だけで議論すれば安全」という誤った信念は、グローバル化した世界を軽視した事例としてマスコミの歴史に残るかもしれない。

森孝一『EUとイスラームの宗教伝統は共存できるか

こうした報道やリベラル/ムスリム両活動家らの抗議宣伝行動で伝播した事件は、本来のコンテキストから離れ、各々の別のコンテキストに組み入れられ利用されていった。
4ヵ月たった11月、エジプト政府とアラブ連盟は駐デンマーク大使に抗議し、ついで同国で開かれた「イスラーム諸国会議機構」でこの問題の抗議声明が出される。選挙を控えたエジプト政府にとってこの問題は、イスラームの真の友好国であるとの演出に使うには最適なテーマであった。イランやシリアの公式報道でこれが大きく取り上げられ、官製デモが起こった。
2006年1月、このような反デンマークの動きに対抗して、ノルウェーの新聞が「風刺画」を転載した。この日は巡礼シーズン/犠牲祭の1日目という特別な日で、イスラームへの侮辱に対する挑発が読み取れるタイミングでもあったと、アル=ジャジーラは論評する。
サウジアラビアリビアは自国の駐デンマーク大使を召還。宗教界がボイコットを呼び掛けたサウジアラビアでは、数日のうちに店頭からデンマーク製品が撤去されたという。6月、ダマスカスでデンマークノルウェー大使館が放火、ベイルートでもデンマーク領事館が放火され、アラブ諸国デンマーク製品不買運動が呼びかけられた。
そんな中、火種を撒いた『ユランス・ポステン』紙は、アルジェリアデンマーク大使館を通して「世界のイスラーム教徒に対するお詫びの手紙」公開し、デンマーク福音ルーテル教会の教会と諸宗教対話委員会も、「挑発だけのために他者の信仰を挑発したり傷つけたりすることは何の意味もない」と「言論の自由と尊厳」声明を出したが、時すでに遅かった。

抗議運動は二つの方向性をとる。一つはイスラーム預言者ムハマンドに対する中傷への謝罪と処罰を要求する抗議運動の方向性であり、もう一つは西欧世界のメディア報道の中で言論・表現の自由を盾に転載された結果、イスラーム世界とキリスト教世界との文明対立、あるいはイスラームキリスト教との間の宗教間の対立問題としての方向性である。
前者はイスラーム世界の方向性であり、後者は西欧世界の方向性である。西欧世界が言論、表現の自由を強調すればするほど、それを盾に西欧がイスラームへの攻撃を正当化しているかのようにイスラーム世界は感じ始めた。イスラーム世界の中には表現、自由を盾にしたイスラームに対する陰謀があるのではないかと疑義の念が生じ始めた。その結果、風刺問題は二つの宗教間の対立構造を描き始められていった。

四戸潤弥

元々西欧民主主義圧力に対して苛立っていたアラブ諸国政府は、「風刺画」問題を絶好な政治機会ととらえ、中東全域に広めた。またそこに、オサマ・ビン=ラディーンは「イスラームを征服しようとする欧米の十字軍」的行為の新たな発言として、欧米製品の不買運動と「十字軍との闘い」続行を、ムハマンド・ハサンはデンマークと同国方針を支持する国にテロ攻撃を信者に呼び掛け、アル=ザワーヒリーも従来の「西洋十字軍に対するジハード」主張の根拠の一つとしてデンマークに言及するなど、これに乗じて進んで火に油をそそぐイスラーム過激派声明が相次いだ。
こんなアラブ諸国の抗議活動に反発した「表現の自由」を掲げるヨーロッパ各地の新聞のいくつかが「風刺画」を再掲載しはじめ、かくしてイスラーム・バッシングはヨーロッ各地に飛び火した。

デンマークの一新聞の記事を発端としてこの事件がエスカレートし、世界に広がったのはグローバリゼイションゆえであり、その背景には、メディアに対する中央の規制機能が欠如していたこと、そして今回のような危機が一気に燃え上がる条件をそろえた地域が数多く存在していたという事実があった。
風刺画を転載した他のヨーロッパの新聞が、その行為を正当化するためにいかに熱く表現の自由について語ろうとも、その背景にはやはり複数の動機が存在していたのである。さらに問題が大きくなると、危機や戦争や対立と報じるメディアのセンセーショナルかつ敵対的な姿勢がこの問題を一層深刻化させ、エスカレートさせる結果を招いた。
こうしたなか、世界のジャーナリストや論説者には、今回のような危機やこの危機によって浮き彫りにされた諸問題において、自分たちが果たすべき責任をもう一度真剣に見直すことが求められている。つまり自分の背景にあるさまざな動機と果たすべき役割のバランスをどのようにして保つかということを検討しなくてはならないのである。エンターテイメントとしてのニュースと真面目な社会分析としてのニュース。表現の自由を守ることと節度ある会話を促すことへの責任。国内の安全保障と国際的な安全保障。検閲はのぞましいことではないかもしれないが、何らかの自己検閲なくしては、節度ある協力と共存を実現することは不可能である。
この微妙なバランスについて考え、最適のバランスを見極めることこそ、今回の風刺画の危機をきっかけに顕在化した課題の一つである。そしてこの課題がメディアだけでなく、我々すべてに突きつけられたものであることはいうまでもない。

ティム・イエンセン

*1:マホメットのこと。現在の教科書表記では全てムハマンドになってる。む〜ん(遠い目)。。。