現在の在民管理制度と国家の狙い

1990年の出入国管理および難民認定法の改正では、外国籍の日系*1二世・三世とその家族*2が、「定住者」または「日本人の配偶者等」資格で許可された。>「定住者告示」の一部改正 http://www.moj.go.jp/NYUKAN/HOUREI/h07.html
それまで研修目的で来日する外国人は「研修」在留資格を得て、6か月あるいは1年の在留期間を何回か更新しながら「研修」を受け、「就労」せずに帰国する建前となっていたものを、2003年に受入先研修機関に引続き就労する場合に限り「特定活動」資格を与える「技能実習制度」が始まった。しかし、これはあくまでも「研修」という枠であった為、かれらは月額6万円の「労働者」としてはなんの保護もされず、様々な問題となった。
2008年、インドネシアやフィリピンとの間で経済連携協定(EPA)が結ばれ国会承認を経て、インドネシア人当初2年間で最大1000人(看護師400人、介護福祉士候補者600人)、フィリピン人は2年間で最大500人(看護200人、介護300人)を、入国許可。しかしこれは就労しながら、3年以内に国家試験を受験し合格すれば引き続き就労出来るが不合格なら帰国する条件がついており、3年以内で一般日本人にも意味不明な古色蒼然とした医学専門用語での筆記国家試験クリアという外国人になんの配慮のない関門自体が、単に規制が厳しくなった(不法就労)外国人の代わりとして組織ぐるみでより低賃金の労働者補給に使われた「研修・技能就労制度」のように、彼らを結局はていのいい周縁労働者として「使いまわし」にする為の建前になりはしないかという懸念がある。
技能・実習制度 -外国人の労働問題 水野英樹
http://homepage1.nifty.com/rouben/rippou/ginoujishuseido200710.htm
「研修生及び技能実習生の入国・在留管理に関する指針」法務省入国管理局
http://www.moj.go.jp/PRESS/071226-1.html
「研修・技能実習制度の現状及び制度改正の概要について」法務省
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/jinzai/jitsumu/dai4/siryou2_1.pdf
外国人研修生問題ネットワーク
http://k-kenri.net/

2009年「住民基本台帳法」住基法改定・「外国人登録法」外登法の廃止と「出入国管理及び難民認定法入管法改定・「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」入管特例法改定がセットで国会成立。
これは従来の外登法+入管法での管理を入管法に一元化して、1.特別永住者平和条約国籍離脱者:「在日」など旧植民地出身者とその子孫)、2.1以外の3ヶ月以上の中長期在留者(「特別永住者」の配偶者や子供と、難民や「日系」などの「定住者」資格者、EPA外の制限付研修(就労)者はこの枠に含まれる)、3.非正規滞在者(オーバーステイなど)*3の3つに区分し、1には「特別永住者証明書」交付、2には「在留カード」交付し、この2者は住民基本台帳に載せるが、2はカード常時携帯が義務。1の「特別永住者証明書」には顔写真・国籍(地域)・住居地・生年月日等を記載し、ICチップにも記載する。2のICチップ付「在留カード」には、顔写真・氏名・生年月日・性別・国籍・住居地・在留資格と期間・許可の種類・就労制限の有無等が書き込まれ、在留者の所属機関にも届出の義務を課す。届出遅延や虚偽届出には刑事罰が科されると、外国人にはやたら過酷なものになっている。
その一方、長らく「中国」籍扱いとされた台湾人が、入管難民法改正でやっと「台湾」籍に名称変更された。
日本の査証・在留資格一覧
http://www.interq.or.jp/tokyo/ystation/jvisa3.html

しかし、これは外国人のことだと遠巻きにしている問題ではない。日本国籍者を対象とした「住基法」も同様の方向基盤準備してるといえる。現在、「住基カード」は、氏名・性別・住居地・生年月日の4項目だけであるが、ICチップにはもっと情報が入る。しかも、申請時に顔入り公的身分証(パスポートや運転免許証や社員証)のない者は、2つの別の公的証書(健康保険証や年金証など)を求められその番号は申請書には書きとめられる。なんのことはない、どういう身分証を保持してるかそこで収集されてしまうのである。そして、カードの利点として銀行のキャッシュカードのように暗証番号で、住民票や印鑑登録証が取れるよと囁く。その2つが一緒くたになるのなら、健康保険証や年金証も勿論一緒に出来る。主に個々人の身分が変遷したのが追えなくて起こった「消えた年金問題」は、この一元化への有力な根拠ともなる。
現在、顔入り+4項目記載と顔なし+氏名の2種類が作れるが、窓口では身分証明書として通用しないところがあると、しつこく顔入りを進められるという。銀行の10万以上の送金にも公的身分証提示を求められる昨今である。要は、国民全員にもなにがしかの公的身分証常時携帯が求められる状態に社会システムが近づいている。
家制度による身分認証方法とは、家族親族といった血縁でありそれを世帯主代表していたのである。ところが、流動化する社会に於いては、血縁から遠く離れた独身単一世帯が基調となる。地域に血縁つながりがある国民には4項目で良いが、在留外国人はそれが無い。だから、出来得るだけ個人情報収集に向かう。かくして国民総背番号制は間近である。結局、家族親族身分管理は戸籍/住民登録で個人管理はICチップ入カードでという2段階の管理強化へシステムは動いている。

出入国管理業務の業務・システム最適化計画(改定) 総務省
http://www.moj.go.jp/KANBOU/JOHOKA/SAITEKIKA-KOBETSU/ko-20.pdf
入管システム最適化計画の構想と問題点 情報人権ワークショップ事務局
http://www.ws4chr-j.org/Lab/ProblemsOfNyukanSys/prblmNyukSys.htm

しかし、こうやって細部に渡るまで管理すればする程に、経費削減にはならず穴を積めるためには大管理体制=コスト高に向かうは、一方完全で完璧な管理制御なぞ不可能なのに、またぞろそのシステム過信の上で編み上げた有りがちな最低限保守管理で一括集中化してクラッシュが起きた時のわやくちゃカオス状態は、消えた年金ドコロでは済まないのである。

移動は人間の自由に欠かせない重要な要素である:
移動は通常、移住者たちとその家族、出身地、そして移住先のコミュニティに利益をもたらす。しかし、移住が人間開発の促進に寄与する可能性は、さまざまな障壁によって制約されている。国内外の移住にかかわる現行の政策を改革し、移住者が移住先で受けられる待遇を改善することによって、その可能性を十分発揮できるように支援することができる。

移動は一般的に、移住者とその家族、出身地、さらに移住先のコミュニティに利益をもたらす:
貧困層ほど移住によって受ける恩恵が大きいが、彼らの移動は最も限られている。移住者は出身地よりも人間開発の達成度の高いところへ移住し、同行した家族、そして出身地に残された家族も含めて、所得の向上、教育や保健の機会の充実という形で移住の恩恵を受ける。移住者は、移住先の人々にまったく、あるいはほとんどコストをかけることなしに経済生産を増やす。

移住にかかる費用は高く、手続きは複雑である:
移住の手続きや費用は、移住者、出身地そして移住先のコミュニティに代償をしいる。移住者はしばしば重大なリスクに直面したり、困難な状況に立ち向かわなければならない場合が多く、とくに貧しい人々は移住のために最も重い負担をしいられている。受け入れ国のコミュニティは、賃金の引き下げや過重な行政サービスのプレッシャーに直面しており、政府は適切に対応する必要がある。

移住者の受け入れ国の懸念は誇張されている:
移住を恐れる必要はない。一般的に、移住者は地元住民から雇用を奪い、行政サービスにかかる負担が重くなるという懸念があるが、この懸念は誇張されている。未熟練労働者を含む移住者たちは、概して経済生産性や社会の多様性に貢献する。

人間開発報告書2009「障壁を乗り越えて―人の移動と開発」国連開発計画(UNDP)
http://www.undp.or.jp/hdr/global/2009/index.shtml

*1:海外に移住し定住した日本人および彼らの子孫をさす

*2:日系4世の場合は来日する時に未成年で未婚、親に扶養されていることが条件

*3:90日以上滞在予定がある外国人は外国人登録手続の必要がある。

戸籍と出入国管理と「在日」

1945年、12月6日付法務府民事局長通達「朝鮮又は台湾と内地間における父子の認知について」で、「朝鮮人及び台湾人は、内地に在住している者を含めて全ての日本国籍を喪失する」と、最初のラインが政府内で定められた。
続いて1947年、大日本帝国憲法下で公布された最後の勅令(ポツダム勅令)として、「台湾人のうち内務大臣の定める者及び朝鮮人は、この勅令の適用については、当分の間、これを外国人とみなす」として、外国人登録令(勅令207号)が制定。これがのちの外国人登録法の前身となる。

ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基く外国人登録令」1945年勅令第五百四十二号
http://www.moj.go.jp/SYOKAN-HOREI/horitsu4.pdf

これに基づき「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係諸命令の措置に関する法律」1952年4月28日法律第126号で、1945年9月2日以前から引き続き日本に在留する「民籍」者は、サンフランシスコ講和条約=平和条約発行日の1952年4月28日以後、本人の意思に関わらず日本国から一方的に日本国籍剥奪させられ、外国人とみなされたのである。また、それと共に当該人と婚姻した日本人女性も、日本国内/元植民地関係なく全て配偶者国籍に自働的に倣わされた。つまり外地移住者だけではなく代々日本国内にずっといた者も日本国籍剥奪となったのである(戦争花嫁問題)。*1 また、その両親から生まれた子供は、自動的に父親の国籍者となった。*2「平和条約*3の発効に伴う朝鮮人台湾人等に関する国籍及び戸籍事務の処理について」1952年4月19曰付民事甲籍438号各法湾局長、地方法籍局長宛民事局長通達
しかし、「領土変更の場合は、住所地領有国の国籍を推定する」国際法*4 やヨーロッパの戦後処理から鑑みてもこうした場合、旧宗主国と旧植民地国の両方の国籍資格があるのであり、複数国籍保持かどれかを選択する権利は当該人が保有しているものであって、国が一方的に召し上げたり与えたりするものではなかった。が、日本政府はそうした二重国籍者が出てくる機会を排除した。それは他でもない、国体保持=「天皇制」存続の為であろう。そして、旧植民地の台湾や朝鮮半島に於いても国籍は父系血統主義であり*5、その当時は祖国に戻り再建に貢献することが国民の第一義務と考える者が多数で問題は見過ごされた。大韓民国とは1965年に、帰化申請の促進を含めた永住に関する「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定」を盛り込んだ日韓条約を結んだ。韓国籍を持つものには25年間の日本在留を認め、韓国国民で1966年から5年間で申請した者とその子供には、日本の協定永住権が与えられた。とはいえ、指紋押捺義務制度と外国人登録証明書の常時携帯・呈示義務制度は外国人登録法に基づいて課せられていた。
高度成長で生活が安定してきて日本に定住したり帰化する者が多くなった1985年の国籍法改正では、従来父親からしか取得できなかった国籍が母親からでも可能=二重国籍が未成年の内は可能となり、*6 帰化が促進された。
難民条約&国際人権規約批准にともなう改正である1991年「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」=入管特例法により、日本降伏文書調印日(1945年9月2日)*7以前から引き続き日本(いわゆる内地に限る)に居住している平和条約国籍離脱者朝鮮人/韓国人及び台湾人)とその子孫を「特別永住者」とした。社会保障制度が外国人にも適用され国民年金&健康保険(大韓民国籍者は1965年協定で既に健康保険加入や生活保護申請可能)に加入出来るようになった。

在日韓国・朝鮮人の属人法に関する論争 趙慶済
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/07-2/cho.pdf
重国籍−我が国の法制と各国の動向 国会図書館
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200311_634/063403.pdf
ヨーロッパ諸国の国籍法 グローバル市民権の会
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4037/countries/europe/eu-cl-short.htm
各国で異なる重国籍の扱い グローバル市民権の会
http://www.gcnet.at/countries/variety.html

国連・国際人権自由権規約委員会が幾度となく勧告を行っていた指紋制度は2000年に全廃された。が、しかし、これは911以降の「テロ対策」という形を変えて復活してきた。2006年入管法改定により、新規入国者からの顔写真・指紋データが採取されだした。>US-VisitでのICPOデータ共有
US-VISITに関する情報 在日米国大使館
http://tokyo.usembassy.gov/j/visa/tvisaj-usvisit.html

この制度は、テロ対策を主たる目的として、06年の通常国会で導入が決定されたものであるが、そのさい国会審議は十分になされたとは言えない。たとえば、
・指紋情報という生体情報に関する取得・保管・利用・廃棄について、明確な法律による規制がないままでよいのか
・指紋・写真以外に提供させる個人識別情報の種類を、すべて省令に委任してしまってよいのか
・生体認証技術は、本当に信頼性を有しているのか
・「テロリスト」の定義や認定方法は、明確と言えるのか
・外国政府との情報交換に制約が及ぶのか
など多くの疑問が残されたまま法案は可決・成立したのである。また、国会審議における政府関係者の答弁や認識に食い違いが見られ、十分な事前の準備がなされていない実態も明らかとなった。さらに、法案成立以後、1年以上の期間があったにもかかわらず、以上の疑問点について明らかにされることもなかった。

…たとえ「テロ対策」を名目にしていようとも、人権の尊重という国家の義務から自由ではない。この点は、「テロ対策」に関わる国連の議論や国際会議においても繰り返し強調されてきたところである。また、このような外国人の管理が、「テロ対策」の名の下に、特定の人種・宗教・民族集団に恣意的に不利益をもたらす危険性、すなわち人種的プロファイリングという人種差別の一形態となるおそれは否定しがたい。

「『日本版US-VISIT』施行の中止を求める!」アムネスティ・インターナショナル日本
http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=394

日本版US-VISITの停止と見直しを求める 反住基ネット連絡会
http://www.juki85.org/statement/20071120Statement.html

*1:日本人夫を持つ「民籍」女性は、1952年講和条約発効するまで婚姻入籍して日本国籍者となれた。

*2:大韓民国朝鮮民主主義人民共和国は樹立した1948年建国したが、のちに韓国籍取得しない者を含め、朝鮮民主主義人民共和国籍とは別の旧「朝鮮」地域民として朝鮮半島人は「朝鮮」籍に一括登録された。台湾人は「中国」籍扱いだったが、09年7月の入管難民法で「台湾」籍に改正。

*3:1952年サンフランシスコ講和条約

*4:1930年ハーグ条約「重国籍条約、国籍法抵触条約」http://www.gcnet.at/un/hague-1930.htm 

*5:父母両系血統主義に制度変更したのは、北朝鮮民共和国1963年、中華人民共和国1980年、大韓民国1997年。

*6:成人以降どちらかを選択することとして基本的には二重国籍を認めていないが、二重国籍を容認している当該他国に離脱届を出さずに過ごしている複数保持者もいる。

*7:国際的には、日本の終戦は8月15日ではない

国家による在民管理制度

入管法」とは「戸籍」管理外の国内在住/在留の非日本国籍者管理なのである。だから、「戸籍」制度と「入管法」がセットになってようやっと、国内の全ての在民管理が成り立つ。すなわち、国家制度に於ける排外主義を考えることは、国内制度を、誰を国民成員として受け入れ誰を他者=外人として排除しているのかを考えることになるのではないだろうか。

第二条:出生による国籍の取得
一 出生の時に父又は母が日本国民であるとき。
二 出生前に死亡した父が死亡の時に日本国民であつたとき。
三 日本で生まれた場合において、父母がともに知れないとき、
又は国籍を有しないとき。

第三条:認知された子の国籍の取得
父又は母が認知した子で二十歳未満のもの(日本国民であつた者を除く。)は、認知をした父又は母が子の出生の時に日本国民であつた場合において、その父又は母が現に日本国民であるとき、又はその死亡の時に日本国民であつたときは、法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を取得することができる。
2 前項の規定による届出をした者は、その届出の時に日本の国籍を取得する。

第四条:帰化
日本国民でない者(以下「外国人」という。)は、帰化によつて、日本の国籍を取得することができる。…

国籍法 昭和二十五年五月四日 法律第百四十七号
http://www.moj.go.jp/MINJI/kokusekiho.html

過去、何故植民地に「創氏改名」を断行したのかというと、そもそも「戸籍」というものが構造原則としている「家」という思考が原点にあるだろう。
秀吉は貴族スジに養子縁組することで関白称号を、家康が征夷大将軍の号を貰う為に家系を買って源氏スジをでっちあげたようにid:hizzz:20050510#p1、武家頭領なら頭領スジの家系つながりでなければならなかった。御一新で四民平等となったのち武家以外の者に「平民苗字許可令」1870年(明治3年)太政官布告をのちに「平民苗字必称義務令」1875年(明治8年太政官布告*1で帝国民すべからく苗字を持たせた(一家一氏の原則)のは、平たく言えば秀吉や家康の延長といって良いだろう。すなわち、天皇大親とし天皇家を本家とし帝国民を皇民分家とし、日本列島を「一つの大きな家」に見立てて一元管理する「帝国」家父長体制を成り立たせる為には、同じ祖先をもつ家族の集団=「氏」*2として一族纏めることが必要となったのである。家系を同じくする(同じ字を持つ)累系な人々の祖先は「氏神」であり、その各地「氏神」の大頭領が皇祖・天照大神という算段である。*3
戸籍は戸にそれを代表する「戸主」を置き、戸主は戸内の総人員の姓名/年齢/戸主との続柄/職業/宗教(寺/氏神など)*4、を申告しなければならないとされた。戸籍は戸主が変わるたびに改製され、また脱漏を防ぐため6年に1回改製されることになっていた。

夫レ全国人民ノ保護ハ大政ノ本務ナルコト素ヨリ云フヲ待タズ、然ルニ其ノ保護スベキ人民ヲ詳ニセズ、何ヲ以テ其保護スベキコトヲ施スヲ得ンヤ、是レ政府戸籍ヲ詳ニセザルベカラザル儀ナリ(中略)人民ノ各安康ヲ得テ其生ヲ遂ル所以ニモノハ政府保護ノ庇印蔭ヲ逃レ其数ニ漏ルヽモノハ其保護ヲ受ケザル理ニテ自ラ国民ノ外タルニ近シ、此人民戸籍ヲ納メザルヲ得ザルノ儀ナリ

戸籍法前文 1871年明治4年)制定

1872年(明治5年)に戸籍編成作業が完了したことにちなんだ干支から『壬申戸籍』とも呼ばれた。しかし従来の「家」は封建的家父長制と儒教道徳の混合物であるとされるが、廃藩置県の前に施行された同法は、それが目指すところと現実的「家族」との間には差異があった。そのため、本来は「家族」の範疇外にある非血縁で家族関係にない者(郎党や子飼)を「附籍」に記載して妥協を図ったりした。
そして大日本帝国が日本列島=内地を超えて外地に拡大すると共に、各外地域民を併合し、台湾・朝鮮半島に戸籍制度を適用した。しかし、外見にそんなに差がない東アジア人同士、言葉や風習仕草を覚えてしまえば判別付かない。*5 又id:hizzz:20080401#p2で書いたとおり日本のアバウトな養子制度などの慣習でミックスしないように、各植民地ごとに「民籍」=外地戸籍という形をもたせ本籍移転禁止して、帝国民として完全に戸籍統一はされていない。*6 ことに流動化が激しかった満州では戸籍制度が作れずに、指紋押捺住民登録が実質的に在民管理の役割となった。

・『家族と国家―家族を動かす法・政策・思想』利谷信義
・『戸籍と身分登録 (シリーズ 比較家族)』利谷信義/鎌田浩/平松浩

*1:平民にとっては日常必要ないので使わなかった

*2:ファミリー・ネームは、氏/性/苗字・名字と来歴により様々の名称があるが、法令用語は「氏」

*3:したから、ホントは靖国なんぞより伊勢参拝の方が、天皇制家族国家への忠誠としては本筋になる。

*4:明治16〜7年頃消滅

*5:実はこのことが、今日に至るまで「日本」同類項で限りない疑心暗鬼を発生させる根拠となっているのであろう。

*6:とはいえ従来風習に則り、転籍禁止は父系のみ。

改定入管法・入管特例法・住基法の成立に対する抗議声明

外国人登録(昭和二十七年四月二十八日法律第百二十五号)
最終改正:平成一六年一二月三日法律第一五二号
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S27/S27HO125.html
外国人登録法施行規則(平成四年十一月二十七日法務省令第三十六号)
最終改正:平成一四年二月二八日法務省令第一四号
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H04/H04F03201000036.html
外国人登録法施行令(平成四年十月十四日政令第三百三十九号)
最終改正:平成二〇年九月一九日政令第二九七号
http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=2&H_NAME=&H_NAME_YOMI=%82%a9&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_NO_NO=&H_FILE_NAME=H04SE339&H_RYAKU=1&H_CTG=1&H_YOMI_GUN=1&H_CTG_GUN=1
出入国管理及び難民認定法(昭和二十六年十月四日政令第三百十九号)
最終改正:平成二一年七月一五日法律第七九号(一部未施行)
http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxrefer.cgi?H_FILE=%8f%ba%93%f1%98%5a%90%ad%8e%4f%88%ea%8b%e3&REF_NAME=%8f%6f%93%fc%8d%91%8a%c7%97%9d%8b%79%82%d1%93%ef%96%af%94%46%92%e8%96%40&ANCHOR_F=&ANCHOR_T=

本日、出入国管理及び難民認定法(入管法)、日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法(入管特例法)、住民基本台帳法(住基法)の改定案が、参議院で可決された。本法(政府案および一部修正案)が成立したことによって公布日から3年以内に、外国人登録制度に代わる「新たな在留管理制度」「外国人住民票制度」が導入される。すなわち、これまでの外国人登録証明書(外登証)が廃止され、短期滞在者や特別永住者を除く中長期在留者に対して、法務省在留カードを交付し常時携帯を義務づけるとともに、市町村は「新たな在留管理制度」に連結させられた住民台帳制度の下で、中長期在留者と特別永住者を対象とする「外国人住民票」を作成することになる。
 外国籍住民の権利保障を求め共生社会を目指してきた私たちNGOは、これらの改定法が成立したこと、およびその審議過程に対して抗議の意を表明する。
 「新たな在留管理制度」と「外国人住民票制度」は、密接に連動している。在留カードを持たない難民申請者を含む非正規滞在者は、実際に地域社会で暮らし、働き、子どもを育てているにもかかわらず、住民基本台帳から除外される。そのため彼ら彼女らは、暮らしと生存を支える各種の行政サービスを享受することができず、まるで地域に存在しないかのように扱われる危険がある。私たちは、地域住民の福祉と人権を保障すべき自治体の機能が在留管理制度に従属させられることについて、強い懸念を表明する。
 また「新たな在留管理制度」は、脆弱な生活基盤と雇用形態にある外国籍住民の実態を踏まえず、刑事罰在留資格取消しという威嚇によって、住居地・身分事項・所属機関の変更届出義務を課し、さらに在留カードの常時携帯義務を課している。このことは、「利便性の向上」を立法目的に謳いながら、実際にはより重い負担を外国籍住民に強いることになる。
 入管特例法では、在日コリアンなど特別永住者に対して特別永住者証明書が交付されるが、衆議院での修正でその常時携帯義務は外された。しかし、国連の自由権規約委員会が再三勧告している永住者等の常時携帯義務の廃止は、いまだ実現していない。

…今回の改定入管法は、非正規滞在者など特定の集団を日本社会から完全に「見えない存在」にする一方、在留資格を有する外国籍住民についてはその個人情報を継続的かつ一元的に収集して管理・監視を強化するシステムを構築する。さらにそれは、法務省による個人情報の集中化とデータマッチング、他の行政機関との情報照会・提供を可能にするものである。外国籍住民を標的として、また先鞭として「監視社会」化が進められるのである。
 このように、215万人を超える外国籍住民の生活や個人情報のあり方に多大な影響を及ぼす危険があるにもかかわらず、政府は外国籍住民から広く意見を聴取する場を設けることも、また法案を多言語化して周知することもしなかった。また国会審議においても、同様である。これでは、「民主主義」とはとうてい言えない。

改定入管法・入管特例法・住基法の成立に対する抗議声明 2009年7月8日
在留カード異議あり!」NGO実行委員会

http://www.peace-forum.com/seimei/090708.html

2009年法改定 新たな在留管理制度についてのQ&A
http://repacp.org/aacp/QA-01.html

「反日上等」のリスク

政権交代して、反政府派になった在特会を始めとした排外主義者の行動が幾つか伝えられるにつれて、一部の左翼自称な皆様は色々「反日」思考拡大しブログなどで展開して「反日上等」情緒紐帯などなさっているようだ。が、蕨市から始まる在特会デモに於いては「反日上等」派と在留未資格外国人&当該直接支援者とは大いなる齟齬があり、一部直接支援者からは関係ないところでやってくれとも言われて、運動という側面では連帯どころか断絶している。直面する具体的問題解決が先の当該と、現場加味しないで抽象化する理念フォロワーの齟齬/亀裂は、よくある話ではあるが。
その両者が関係することが問題当事者たちにとって何故「直接脅威」になるのかといえば、端的に言えば1981年制定された出入国管理及び難民認定法の第二十四条退去強制「オ 日本国憲法 又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを企て、若しくは主張し、又はこれを企て若しくは主張する政党その他の団体を結成し、若しくはこれに加入している者」「ヨ イからカまでに掲げる者のほか、法務大臣が日本国の利益又は公安を害する行為を行つたと認定する者」に抵触する可能性=それを理由として強制退去処分されるおそれが高まるからである。*1
「現に在日(コリア/中国)は政治活動してるじゃないか」という声が、ここで出るかもしれない。要は、外国人労働者急増に際して1989年に改正された外国人登録法は、個々の「在留資格」別に活動が制限され、来日外国人には「政治活動」禁止が盛り込まれたのである。制限がかからない在留者とは、特別永住を含む「永住者」=「在日」と日本人&永住者の配偶者と元日本国籍者の子供となる。*2
無論、その入管法自体が、まったくもって今日の国際的常識からズレたものであることは以下に記す。が、かといって、それを入管からマークされて存在の危機にある当の在留未資格外国人に、強制退去ほどのリクスはない自分たちの「反日上等」アピールを受け入れよとせんばかりの論調、しかもきちんと理論から現状に落とし込む具体的戦略・戦術もないワンフレーズ・ポリティクスであるならば、逆に反日ターゲットとしてよりリスキーを被るだけで殆どメリットないのである。

・京都の在特会デモへのアピール「日の丸うんこ」は何故ダメだったのか
http://h.hatena.ne.jp/hizzz/9234264563670723535

*1:政治犯等犯罪前歴がある者が、しばしば入国差し止めとなるのも同じ理由

*2:とはいえ、外国人登録証明書の常時携帯・呈示義務などの条件が課せられてるので、日本国籍者と同等とはいえない

内と外の二元管理の泥縄ぶり

ちょっと、あんまりにもアサッテに先鋭化した議論方向にばかりにはてダ社会派が向かっていて現実問題が断片化して俯瞰で把握されてないようなので、事の基本を整理する為にちこっとアレコレ。

ホロコースト研究の新潮流

21世紀にはいって起こったヨーロッパ史学研究をとりまく変化とは、大きく分けて3つある。1.統一ドイツ後、東側で保管されていた資料が次々公開となり、研究が深化した*1。2.ECという政治枠組みが生成されその東方拡大は、ナチ犯罪の捉え方も、ドイツ1地域からヨーロッパという多国間で捉えねばならなくなってきた。3.国民vsユダヤといった単線だけではなく、ロマを始めとしたこれまで周縁化されていた少数民族を含めたマイノリティ集団や外国人強制労働者などの戦争被害者たちが、さまざまに帝国ドイツ&ナチスと関係してたことの重要性である。そこに至る意識の変遷には、ユーゴの民族紛争・コソボ空爆という、新たなるヨーロッパの痛恨というものも加味される。国際秩序重視でこの空爆を断固支持したハーバマスは、後で少し手段は不適切だったと軟化したものの、それは「反戦平和」が大原則であった左派陣営を震撼させるものであった。その後ハーバマスは、そのゴリゴリのカント的世界市民秩序・強者的普遍主義から拡大?して「寛容」を説き、イラク戦争の後、相容れない論敵・脱構築主義のジャック・デリダがいう「歓待」と、コスモポリタン的合意に基づく共同声明を、2003年出して、従来ではありえない展開に両者のフォロワーを驚かせた。>id:hizzz:20090204#p6、id:hizzz:20090103

ユダヤ人だけを見てジプシー、その他のマイノリティを見ることができなかった歴史意識の限界を克服し、総体的な諸要因を俯瞰しうる今日の世界と研究の到達点に立って、第三帝国支配下の苛酷さの事実と意味の関連を把握することが現代の課題になっている。アウシュビッツだけを問題にする歴史感覚、ドイツ人に「恥や罪の感情」だけを再生産させるような議論の仕方は建設的ではない。過去の事実に理性的に直面することに資するためにこそ、総体的な方法論見地に立った歴史研究が必要である。活発化している20世紀の多様なジェノサイドの比較研究はそれに貢献するであろう。ブローシャトの言うように第三帝国の犯罪を他国の罪と比較し、人類史の中に適切に位置づけ、その意味で「相対化しバランスをとること」は悪しき相対化論ではなく、ましてや否定論でもない。科学的比較はそれぞれのジェノサイドの基本的本質的な差異をも明確化する。それは、公式的なナチズム把握の問題性を認識させるものである。アウシュビッツ否定論のような偽造・捏造による「歴史意識の誤った正常化」や歴史家論争で見られた「非常に劣悪な無意味な比較」を排し、現代的課題に応えるためには、今後とも、大量のエネルギーを要する実証的比較研究が、問題接近の方法の洗練とともに必要なのである。

永岑三千輝『ホロコーストの力学―独ソ連・世界大戦・総力戦の弁証法
http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/kogikeizaishi20011217.htm

戦後のドイツ歴史教育の変遷を研究している川喜田敦子『ドイツの歴史教育 (シリーズ・ドイツ現代史)』は、「ナチの過去と取り組むということは、また、戦後ドイツの「過去の克服」のあゆみを批判的に問い直すことでもある。」と述べる。また、これまでの「過去の克服」理解方法=ホロコーストアイデンティティ憲法愛国心では、戦後移民してきたトルコ系などの外国出自住民には通用しないことも指摘している。

もちろん、アウシュビッツは特殊である。しかし、おそらくアウシュビッツとそこで殺されたユダヤ人だけに話を絞っていては、自分たちのための追悼という悪循環から出にくいのではなかろうか。すでにホルクハイマーとアドルノは『啓蒙の弁証法』で、アンティセミティズムについての考察を、ユダヤ人という民衆─宗教─集団儀礼の問題を超えて論じていた。ベルリン工業大学にあるアンティセミティズム研究所でも、もはや反ユダヤのメンタリティや運動の研究をとっくに超えたところで仕事をしている。にもかかわらず、メディアも、さまざまな催しもユダヤ人中心である。
それによって生じるのが、先に触れた死者の選別である。たぐい稀なる文化を持っていたユダヤ人への無差別殺人は文化的喪失とも感じられるが、ドイツ人によって殺された他の人々については、ほとんど触れられないか、触れられても義務的な感じを免れない。シンティとロマ(ジプシー)について必ず触れられるようになったのは、それほど昔のことではない。しかし彼らに対しては文化的喪失感が乏しいだけに、国家的追悼の気持ちも、推し量りにくいところがある。
パブリック・メモリーの選別性を批判し、犠牲者にまでそうした選別性が及ぶエスノセントリズムを論じる「批判の批判」はしかし、リベラル左派のコンセンサスに依拠したこれまでの過去批判の発言が嫌いである。政治家が行うドイツの過去への批判は、リベラル左派の知的な力のゆえであり、またそれに支えられてもいるのだが、そのどちらにも理論的なつめの甘さを感じるようである。そこには、ヒューマニズムリベラリズム、左翼による権威批判の三者は実は一体となって、選別と排除を行っていたのであはないか、過去への反省の中にもエスノセントリズムがあるのではないかという、嗅覚が働いているのだろう。

三島憲一文化とレイシズム―統一ドイツの知的風土

もっぱらドイツ人加害/ユダヤ人被害中心で進んできた、その過去への反省「過去の克服」の中にひそむエスノセントリズムが指摘されていた、リベラル左派の中では、ユダヤ人追悼&保障に標準を合わせ、その一定の成果に満足し少数派犠牲者をないがしろにしてきた政府*2に対しては足並みを揃えども、折角保守派に対抗して作り上げたリベラル・コンセンサスが崩れるとして、リベラルを支えてきた自分たちが内包していたエスノセントリズム性への指摘・批判には反発する者もいた。アナール派のジャン=クロード・シュミットは、フランスやドイツの其々の一国単一主義に対して、「批判勢力自身が、実はエスノセントリズムにとらわれているのは、我慢がならない」という。昨今のマイノリティ運動が推し進める多元主義によって、主流リベラル左派のエスノセントリズム性が明白となり、「リベラル」自体の内実・硬直化を問われたのが、2000年以降のムスリムとのコンフリクトであった。>id:hizzz:20090324
石田勇治『20世紀ドイツ史 (ドイツ現代史)』では、「現実政治における文脈転換と並行して、歴史学でもホロコーストをめぐるパラダイム(認識枠組)の転換が生じている」として、ホロコーストの区別や切り分けではなく、むしろこうした東部戦線で生じた迫害虐殺を含めた包括的問題「複合ジェノサイド」として取り扱うことを推奨している。また「CGS:ジェノサイド研究の展開」と共催者DESK(東京大学ドイツ・ヨーロッパ研究室)の代表を務める石田は、ジェノサイドを「国民的 national 、民族的 ethnical 、人種的 racial または宗教的 religious な集団 の全部または一部を、それ自体として破壊する意図 をもって行われる殺人などの行為」と規定し、「私たちが数年前に別れを告げた20世紀は輝かしい「文明と民主主義」の時代であると同時に「戦争と虐殺」の時代でもありました。ジェノサイドはまさにこの文明の時代において、世界の各地で頻発し夥しい数の人間がその犠牲となりました。ナチ・ドイツによるユダヤ人虐殺(ショアーホロコースト)はその一例に過ぎません。」と、そのシンポジウムで挨拶している。

ホロコースト研究はいずれ比較ジェノサイド研究に統合されるであろう。この比較ジェノサイド研究は、二十世紀のヘレロ族の虐殺で始まり、オスマン帝国アルメニア人虐殺を含め、さらにカンボジアルワンダスーダンやその他の国々での未曾有の破局を視野に入れ、スターリン支配下ソ連のような、住民に対する国家的テロをテーマとし、必然的にジェノサイドやテロについての新たな定義に至るであろう。そしてこの定義は、ホロコーストのいかなる次元の歴史的犯罪の序列化、相対化、また周縁化を意味するものではないのである。

ヴォルフガング・ベンツ『ホロコーストを学びたい人のために

*1:当時のドイツ公文書も2006年一般公開された>International Tracing Service http://www.its-arolsen.org/en/homepage/index.html

*2:それはロマだけではない。例えば、政府補償を受けるには名乗りでなければならないが、最近まで犯罪に法規定されていた同性愛者は、役所でカミングアウトするのは相当な苦労を伴うであろう。強制不妊手術をされた女性もしかりである。また、800万人と推定されている外国人強制労働者と、旧共産圏諸国の犠牲者に対してのフォローは殆どされてこなかった。