また世間が騒いでる。

「一人で死ぬのがこわくて」家族を殺そうとしたが「母親はヤレたが父親と弟は失敗した」という自己認識がありながら、「病院行って家に誰もいないだろう」「逃走資金を持ちだそう」と途中で落合った「2人の生活がしたかったが、住む場所がなかったので家族を殺そうと思った」「一緒に暮し、死ぬつもり」な高1彼女と自分の車で戻る途中、犯行後1一時間でタイーホ。
「いずれ発覚するのでそのときは一緒に死のう」ってほんとにノンキな連中だ。父と弟が第三者接触できる状態なら、真っ先に「誰」にそうさせられたか言うだろう。でー、車ナイとなれば、当然緊急配備だろう。それが自己都合よく現状把握されたズサンな行動で、何重にもマヌケ。「逃走資金」なんて考えてなかったんだろうな。ったく段取りもナニもあったモンぢゃあねぇ。ホントに大学生にもなってよー。

犯行後、呼び出され同行した高1も、成績はトップクラスと報じられてるが、まーナンも有効な智恵しぼりだせない、この程度のアタマと実力だったつーこと。
あれだな、「まじめ」つーのは、アタマ使わないつーのと同義語でないかと。自己の関係や環境に対して「まじめ」だから、「かまってくれない」だの「理解してくれない」だのという自分の意志(願望)に反する状態に対峙して活路を見いたすなんてコトはしない。優等生のインプットされた選択肢(家族)を一つ一つ消費してって、最後に「死」によるカタストロフィってか。
死ぬつもりだからこまかいコトは考えなくてもいー、か。しかし、あまりに考えなさすぎて、自分達の描いたシナリオ通りの「死」失敗したと。しかし、現実は一人殺せたダケ。ショボイ夢だったのー。夢に舞い上がる不器用な夢夫&夢子。口程に…ということで。
べつに騒いでもち上げる程のこともなく、単にそれだけ。

殺人予備罪

昨今騒がれる「残虐」で「特異」な犯罪というのは、犯罪実行者がめたくそ悪の智恵をつけたというより、大抵あまりにも短慮すぎて失敗したから「残虐」で「特異」となったのが殆どなんではないかな。そしてこのケースもそれに当たる。
この事件の一番の問題は、事件後落合った高1に殺人予備罪が適用されたこと。
家族や周囲を「皆殺ししてやりたい」なんてコトを思うのは、特にこの年齢位の子なら持ってるんぢゃないのか。それを友達に言ったり(ウエブに)カキコしたりてのも、まーアリガチなんでわ。
当日包丁持参してた訳でもなく、ただ自宅の自分の机の中に包丁を忍ばせてたダケで、殺人予備罪かよ。「包丁は料理に使い、試し切り」ってさー、記事にすることかねぇ。普通すぎるぢゃん。あまりにもマヌケすぎて爆笑。ソレって、夫や姑を殺したいと思い詰めて、台所で包丁つかう妻という昼メロの定番シナリオだし。いやー、そうやって生活のソコココで適当に人殺しのファンタジーを解消していれば、それは健全ちうもんぢゃん。予め大学生に包丁を渡した訳でもなし、呼び出された際に所持してた訳でもなし、自分の家族にチラつかせて威嚇してた訳でもなし。「人を殺すためにナイフを購入するという行為は予備罪に当たる」と毎日新聞では解釈してる。だったらナイフ購入する時に動機を厳重審査でもするか?
親や学校といった社会体制のヒエラルキーに背く考えは、たとえファンタジーとしても、あってはならない。そんなものが存在するとそれに対処しなければならないから、ちょー不安。だから、最初からそんなものは、「なかったコト」にしとなかなければならない。ないコトだから考え悩む必要ナイ「終了」。それなのにあるコトにしようとする異者はそれ自体が悪なんだから、ことごとく先回りして排除セヨ。それでクリアな解りあえる美しい「平和」ってこと。イラク派兵とかで「戦争は終結したのだから戦闘はない」とか「非戦闘地域に行くんだから戦闘はない」てのと同じロジックなんだよな。
全国の刃物持ってる弱虫小虫なよいこの皆様、これで、貴方も過激派や狂信的カルトに格上げとなりますた。こうして、どんどん犯罪は発掘され続ける。

反他者欲望

「殺したい」「死にたい」というのは個人の思想信条の自由だ。「殺したいぐらい憎い」なんてのもそうで、ファンタジーの世界だ。ホラーやサスペンスや戦争やカルトを愛好するのもそうだ。刃物やモデルガンや薬を所持するのも、それの延長。
ただ、そうして想像する他者に侵食する欲望は、そうありたいの欲望の持ち主の自己管理責任が常に厳しく質されるという自己認識の上で許される、ハードな主体責任の上で始めて成り立つのである。
昨今は「死にたい」といえばナンでも許されるんだろーと、これこそ自己絶対化の印篭と思い込んぢゃって、それに夢中になるひとが多いようなんだけどね。しかし、「死んで花実が咲くじゃなし」@梶芽衣子キルビル、ラスト)この世は、いくら妄想こいても作用反作用の原則が現実なんであるよ。
「ゴシック・ロリータ」だから、どーだっていうんだよ。無軌道なお子茶魔でいたい〜ってことだろ。でーその欲望と自分の環境との折り合いがつけられないつーダケだろうが。まーもっとも世の「大人」と称する連中のほうがお子茶魔歴が長いぶんしたたかだから、それに勝てないつートホホなんだろうな。ほーら、この報道ぶりとか観察して、いい加減気づけよ。前回カキコした(id:hizzz:20031027)ように、ゴスロリっとかぶりっこすればする程に、自分達がまっとうな社会の一員であると承認して欲しい「大人」と称するお子茶魔連中のカモなんだよ。「心の闇」とかいって騒ぎ、そんな子供を救って矯正してやらなきゃって善意溢れる自分ってなんてピュア(はぁと)といーたい連中と、反他者でそんなキタナイ大人になんかなりたくナイ純な自分っていう心根、一緒ぢゃん。同類険悪、だからウザいんだひょ?だから「死にたくなる」程辛いんだひょ?だから世の中も騒ぐ。全能感の争奪戦。しかし、所詮、若いって未熟なんだよ。その為には「殺人予備罪」なんてのまで取りだす有り様。そこまでお子茶魔度進んでるって、10代までレベルさがってるってコトよ。もう、そんな「ピュア」=「若い」ってコトは決して絶対的なモンとならないのに、あくまでも「若い」ってことにこだわって、それっきゃ自己を見付けられないから「若い」ってことしか見付けられない方は「死ぬっきゃない」とおもうんでしょ。でー、今更、進路変更できないって?つくづく真面目だ。そーゆー発想が出ること自体が「若く」ない証拠だからな。
だからそんな「若く」ないアタシは「死にたい」か。死んでいつまでも若く続けるというファンタジーか。だからそれが、「若い」=未熟の正体なんだよ。「若さ」と「大人」を都合よく繰り出しつつ全能感を保とうとする側、こうしてカキコするネタの、その格好のエサとなってるダケぢゃん。いやー、付合いいいねぇ、真面目だねぇ、ポチだねぇ。ホントに、そんな「大人」がウザくてなんとかしたかったんなら、よりお子茶魔度を競うことではなく、その逆なんぢゃないかな。
ゴスロリファンタジーも結構なんだけどさ、もっとアタマつかって戦略錬れよ。所詮はそのゴスロリとか「死にたい」だって西川貴教椎名林檎を崇拝するように「他者」から与えられたものを消費してるにすぎないちゅーこと。

狂気

「死にたい」だの「殺したい」と想うこと、これを「狂気」と称しているのだけれど、どーかねぇ。勝手に自分で予め規定したトコに逃げこんでるダケで、別に狂気でもなんでもないでしょう。一生懸命、狂気を学習しようとしてるようで。あくまでもセオリーに添った優等生的「狂気」の解釈行動。ただ、その規定が社会的には「正常」ではない。反社会的なだけで。そしたらこれは、ただの「反抗」「反動」ってものでしかない。尾崎豊位からこっち、「反抗」「反動」ってどーにもダサくなったから、「狂気」って言葉かえしただけで。
いま「正常」でいることこそ最も鈍感で愚鈍の証拠。感覚が鋭敏だからこそイケてるアタシ。イキナリ「狂気」はアレゲだから、カジュアルな狂気としての「不思議ちゃん」という手もあるけどねー。単なる怠惰をキドってしまった昔の「アンニュイ」みたいなモン。ハタから見てると、むしろ、「恥ずいっ。」って感覚もナイくらい他者に鈍感にしか思えないんだけど。
「狂気」でもなんでもないのに、狂人になれば絶対自己を獲得できるという狂人幻想だけ目いっぱいふくらんでいる。狂人=超能力=超人。そんな錯覚。狂人への方法論が、家族殺しと自殺。ショボっ。
確かに、一部の精神疾患で「レナードの朝」や「ビューティフル・マインド」のごとく超人的能力を発揮する人はいる。しかしそれは、一部の疾患のこれまた極一部である。実際の疾患者皆が皆、発病したら草間弥生になれる訳では決してない。
ドラッグ等のケミカルで疑似体感するようなトランスによるエクスタシー、目眩くビジョンを持てたとする幻想、夢。それはやはり幻想は幻想でしかなく、幻想ゆえに醒め、リアルな自分=思考の入り込むスキはない。そういう外部の力がないとシラフ=自力では獲得/最構成できないビジョンなんてのは、それは自己のもの=能力ではない。不自由な自分、依存そのものだな。だから睡眠時や妄想時に炸裂したビジョンそのままハイになってもってこられても、当然、他者の観賞=相対化に耐えうるものでもない。
他者を排除しといて「解れ」=ココに入れというほうが御無体。そういうこと全体がファンタジーといわれるコトなんだろう。目的と手段を取り違えても、こうしたトホホな結果しか出せないのである。そうしたひとに「心の闇」とか「狂気」とかいっても、よけい自作自演行為に舞い上がるだけなんだよね。