「神の国」発言で総ツッコミ、森政権

密室談合で小渕急死の後をついだ森喜郎首相は、、2000年5月15日神道政治連盟国会議員懇談会「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知していただく、そのために我々(=神政連関係議員)が頑張って来た」と発言。これで閣内支持率が急降下しだした。
16日マレーシア中華大会堂総会では事務長が、「森首相の『神の国』などの発言は(華人の虐殺などを行った)旧日本軍を間接的に擁護するもので、侮辱的だ」と批判、シンガポールでも地元紙ストレーツ・タイムズが「アジアの戦争被害者の記憶を汚す」と批判した。人民日報は「再び日本の世論と野党の厳しい批判を受けている」と伝えた。
森首相は具体的内容に触れず「私の発言でいろいろとご迷惑をおかけして申し訳ありません」と全国幹事長会議で陳謝。しかし中国国営新華社通信は「発言が『皇国史観』を鼓吹したとして世論の厳しい批判を受け、森内閣自民党は重大な政治危機に陥った」と解説、「釈明は国内世論の不満を鎮められていない」と論じた。唐家セン外相はテレビ朝日社長との会見で「こういうことが度重なっては良い結果になり得ない」と不快感を示した。国内各宗教団体は相次いて抗議声明を発表。高まる批難の中、26日首相は異例の釈明会見を行った。

森総理大臣記者会見 森喜郎 2000年5月26日
先般の神道政治連盟国会議員懇談会におきます私の発言につきまして、十分に意を尽くさない表現によりまして、多くの方々に誤解を与えたことを深く反省をいたしておりまして、国民の皆様方に心からおわびを申し上げる次第でございます。
厳しく御批判を頂きました「天皇を中心とする神の国」という表現は、議員懇談会の活動の経緯を紹介する趣旨で申し上げたものでありますが、誤解を招く表現であったことは、私自身大変反省をいたしております。私の真意は、天皇が神であるということではありません。そのことは、私自身の個人的信条とも全く異なっております。
http://www.kantei.go.jp/jp/morisouri/mori_speech/2000/0526kaiken.html

陳謝はしたものの、発言そのものの撤回はなかった。
5月23日オランダに謝罪と補償を求める抗議行動があるなか 明仁訪問。

ランダ女王陛下及び王配殿下主催晩餐会(アムステルダム王宮広間)における天皇陛下のご答辞 明仁 2000年5月23日
両国が,先の大戦において戦火を交えることとなったことは,誠に悲しむべきことでありました。この戦争によって,さまざまな形で多くの犠牲者が生じ,今なお戦争の傷を負い続けている人々のあることに,深い心の痛みを覚えます。二度とこのようなことが繰り返されないよう,皆で平和への努力を絶えず続けていかなければならないと思います。また,この機会に戦後より今に至る長い歳月の間に,両国の関係のため力を尽くしたさまざまな人々の努力に改めて思いを致します。とりわけ戦争による心の痛みを持ちつつ,両国の将来に心を寄せておられる貴国の人々のあることを私どもはこれからも決して忘れることはありません。
http://www.kunaicho.go.jp/gaikoku/gaikoku-h12-02.html#oranda

2000年10月14日来日した朱鎔基首相はTV番組座談会で筑紫哲也に、日本は全ての中国宛公式文書のなかで一度も中国に対し侵略戦争について謝罪していないと指摘した。>http://www.tbs.co.jp/zhu/jp/theme03_05.html これに対して外務省事務次官は、1995年の村山談話を政府の正式な立場を表したもので、当然中国をも大きく念頭に置いたものだあることと、98年江沢民国家主席来日時に小渕首相より心からのお詫びの気持ちを表明したとして、文書に拘ることを否定した。>http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/jikan/j_0010.html
2001年2月18日野呂田芳成衆院予算委員長は大東亜戦争植民地主義が終わり、日本のおかげで独立できたという国の首脳もたくさんいるが、それは別として、戦で負けてしまったのは、政策の誤りであって、日本の文化、歴史、伝統が悪いと反省してしまったのは本当に大きな誤りだ」との発言が問題となったが、19日この弁明に「アジアの国々で(日本のおかげで)独立できたということを言っている人もいると紹介しただけだ」と重ねて語った。
韓国外交通商省は「太平洋戦争を美化し、近隣諸国の苦痛を無視した、わい曲した発言を行ったことを非常に遺憾に思う」と批判した。また、自民党幹部である野呂田氏の発言は「国家間の友好協力関係だけでなく、日本のためにも全く望ましくない」と批判。中国外務省は「日本の一部の人々の歴史問題に対する無知とでたらめの度合いを示している」「侵略戦争はアジアの被害国に深刻な災難を与え、その罪悪は筆舌につくしがたい」としたうえで、「(発言は)日本国内の類似した政治傾向への警戒心をさらに高めさせる」と述べた。人民日報も発言を「侵略を美化する」ものと非難。委員長解任要求を巡って国会は紛糾したが、森政権自体が解散となった。自民党は6月総選挙に向けた党の公約に、政教分離の堅持を盛り込む方針を決めた。

靖国参拝続行で冷え切った外交、小泉政権

「新しい歴史教科書をつくる会」主導で編修された中学歴史教科書『新しい歴史教科書』扶桑社が検定公開され、議論の的となり、また「教科書問題」が外交問題化する。2001年2月28日韓国外交通商相は駐韓大使を呼び、現在検定中の中学歴史教科書の一部に植民地支配に肯定的な表記があるとされる問題について「両国関係に悪影響を及ぼす」と述べ、遺憾の意を伝えた。3月30日中国は駐中大使に、扶桑社版歴史教科書の誤り是正を申し入れ。4月3日検定合格。5月8日韓国政府は35項目の修正を要求、17日中国政府は8項目の修正要求を出すなどして、アジア諸国が一斉に批判し、「歴史教科書問題」が再燃した。7月には韓国がこの問題への対抗措置として日本文化を開放停止とした。
・中学社会[改訂版]新しい歴史教科書(平成18〜21年度 使用版)
http://www.tsukurukai.com/05_rekisi_text/rekisi_kaitei.html

小泉純一郎首相は、2001年自民党総裁選で「首相に就任したら8月15日にいかなる批判があろうとも必ず参拝する」と公言し、当選後の衆議院本会議で戦没者にお参りすることが宗教的活動と言われればそれまでだが、靖国神社に参拝することが憲法違反だとは思わない」「心をこめて敬意と感謝の誠をささげたい。そういう思いを込めて、個人として靖国神社に参拝するつもりだ」と明言した。が、福田康夫官房長官らの進言で13日公式参拝

小泉内閣総理大臣の談話[靖国神社参拝] 小泉純一郎 2001年8月13日
わが国は明後八月十五日に、五十六回目の終戦記念日を迎えます。二十一世紀の初頭にあって先の大戦を回顧するとき、私は、粛然たる思いがこみ上げるのを抑えることができません。この大戦で、日本は、わが国民を含め世界の多くの人々に対して、大きな惨禍をもたらしました。とりわけ、アジア近隣諸国に対しては、過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いたのです。それはいまだに、この地の多くの人々の間に、癒しがたい傷痕となって残っています。
終戦記念日が近づくにつれて、内外で私の靖国参拝是非論が声高に交わされるようになりました。その中で、国内からのみならず、国外からも、参拝自体の中止を求める声がありました。このような状況の下、終戦記念日における私の靖国参拝が、私の意図とは異なり、国内外の人々に対し、戦争を排し平和を重んずるというわが国の基本的考え方に疑念を抱かせかねないということであるならば、それは決して私の望むところではありません。私はこのような国内外の状況を真摯に受け止め、この際、私自らの決断として、同日の参拝は差し控え、日を選んで参拝を果たしたいと思っています。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/exdpm/20010813.S1J.html

全国戦没者追悼式では「我が国がアジア諸国に多大の損害と苦痛を与えた」と式辞。翌2002年は春季例大祭にあわせて参拝するなどして、終戦記念日以外の期日を選んで5年間公式参拝し続けた。
10月6日訪中した首相は、盧溝橋などを訪問したその場で、中国に対する「侵略」を謝罪した。

中国人民抗日戦争記念館訪問後の小泉総理の発言(記録) 小泉純一郎 2001年10月8日
今日こうしてこの記念館も拝見させていただきまして、改めて戦争の悲惨さを痛感しました。侵略によって犠牲になった中国の人々に対し心からのお詫びと哀悼の気持ちをもって、いろいろな展示を見させていただきました。二度と戦争を起こしてはならないと、そういうことが戦争の惨禍によって倒れていった人の気持ちに応えることではないか、私共もそういう気持ちでこの日中関係を日中だけの友好平和のためではなく、アジアの平和、また世界の平和のためにも日中関係は大変大事な二国間関係だと思っています。
過去の歴史をよく勉強することによって、人間というのは反省し、将来その反省を生かしていかなければならないと思っています。私共も過去の歴史を直視し、二度と戦争を起こしてはいけない、その反省から、戦後平和国家として日本は繁栄することができました。過去、日本は国際社会から孤立して、あの悲惨な戦争に突入してしまいました。戦後、国際協調こそが平和と繁栄の道だと、国際社会から孤立してはならないということが日本の国是となっています。
日本はアメリカと戦争をしました。しかし、戦争をしたアメリカとは今、世界で最も強力な友好同盟関係を結んでおります。日本と中国も過去不幸な時期がございましたけれども、今後21世紀の将来に向かって、私は日本と中国との友好関係を今の日本とアメリカの友好関係のような強力な友好関係にしていけたらなと、そう心から思っております。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JH/20011008.S1J.html

10月12日韓国国会に「日帝下強制動員被害真相究明に関する特別法」が提出され、2004年2月13日可決した。
10月15日訪韓した首相は、植民地時代に独立運動家らを投獄した刑務所跡地など訪問。金大中大統領との首脳会議で「反省」「おわび」と、日韓歴史教科書共同研究で合意した。

西大門(ソデムン)独立公園における発言 小泉純一郎 2001年10月15日
日本の植民地支配によって韓国の国民に対して多大な損害と苦痛を与えたことに対しまして、心からの反省とまたお詫びの気持ちをもって、いま、色々な展示や施設や拷問のあとを見させて頂きまして、これは総理大臣としてというよりもむしろ、一人の政治家として、一人の人間として、このような苦痛と犠牲を強いられた方々の無念の気持ち、これを忘れてはいけないなと思いました。
これまでは、韓国も外国の侵略、そして祖国の分断、しかも同胞との戦いという大変辛い思いをし、苦労もされ、しかもそのような大きな、想像を絶するような苦しみに堪えて、今や民主主義社会として力強く発展していることに対しまして、心から敬意を表したいと思います。
日韓関係を見ますと、こういう過去の歴史を踏まえながら、これから互いに、反省しつつこのような二度と苦難の歴史を歩まないよう協力して行かなければならないということを痛感しております。
ちょうど21世紀の初頭、20世紀の色々不幸な歴史がありましたけれども、その歴史を直視しつつも、新しい未来に向かって、お互い協力できる分野、明るい展望をもって提携していける分野にこのように力を注いで、日韓の友好がアジアの発展に、そして世界の安定に寄与できるようなお互いの良い友好協力関係ができればなと現在思っております。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_koi/korea0110/sankou1.html
・日韓首脳会談(概要) 2001年10月16日
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_koi/korea0110/kaidan.html

これを受けて2002年3月、両国の歴史学者約20人からなる「日韓歴史共同研究委員会」が発足し、「『日韓歴史共同研究推進計画』合同支援委員会」が支援組織として新設した。この成果を教科書編纂にあたって研究の結果を活用することで両国政府は合意した。
歴史教育アジアネットワークJAPAN
http://www.jca.apc.org/asia-net/index.shtml
・外務省:日本の教科書検定制度
http://www.mofa.go.jp/Mofaj/area/taisen/kentei.html
文科省:教科書制度の概要
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/gaiyou/04060901.htm

2002年4月江沢民国家主席は訪中した神崎武法公明党代表に、「これは国家と国家、歴史と歴史の問題だ」「小泉首相はこの問題を簡単に思ってはいけない。私は小泉首相靖国参拝を絶対に許すことはできない」と強く批判、中国外務省は「いかなる形式、時期であれ、日本の指導者がA級戦犯が祭られた靖国神社に参拝することには反対する」と発表。また在中国大使を呼び、「南京虐殺」などにも触れて「悪い影響を及ぼすことがないよう、同様なことが起こることのないよう措置してほしい」と強く抗議。さらに対抗措置として、防衛庁長官の中国訪問と中国海軍艦艇の日本訪問の中止を通告。中国外務省の孔泉報道局長は「小泉首相靖国神社参拝は中国人民の感情を傷つけ日中関係を損なった。」とコメント。以降、日中関係は冷え切ったままとなる。
南京事件FAQ http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/d/FrontPage

2005年4月王毅駐日中国大使は、中曽根内閣当時以来日中両政府間には靖国神社参拝に関する「紳士協定」が存在しており、首相・外相・官房長官は参拝すべきではないと、自民党の外交調査会講演で発言した。しかし外務省は協定存在を否定した。11月唐家セン前外相は、訪中した大阪府京都市兵庫県の各知事との会談で、「紳士協定」を日中両政府間で結んでいたと発言。
2002年9月17日平壌を電撃訪問した小泉首相は、朝鮮民主主義人民共和国国防委員長金正日(朝鮮労働党総書記)と首脳会談を行い、金総書記は拉致事実を認め口頭謝罪し『朝平壌宣言』を調印した。

日朝平壌宣言 2002年9月17日
日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2002/09/17sengen.html

同時に5人の拉致被害者が日本に一時帰国した(後に永住帰国に変更:この曖昧な過程が、のちの禍根となる)。これにより日朝国交正常化への話し合いの道が開け、「核問題」と共に、長らく停滞していた「拉致問題」も包括的に協議する運びとなった。2004年5月22日再び平壌訪問した首相は、先の帰国者の家族の帰国を実現させた。が、残りの拉致認定者については、死亡などととして「拉致問題は解決済み」との立場を北朝鮮政府は取り続け、日朝関係は膠着化していく。
2005年8月15日戦後60年終戦記念日に当たり小泉純一郎首相は談話を発表した。

戦後60年にあたっての小泉総理大臣談話 小泉純一郎 2005年8月15日
我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。
過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JH/20050815.S1J.html

韓国政府は「日本政府は終戦60周年の歴史的な意味を深く刻み、過去に対する真の反省と実践的努力を通じ、両国間に合意された21世紀の未来志向的友好協力関係構築にまい進すべき」との論評を出した。外交通商部は「日本政府のこうした公式的な謝罪と反省にもかかわらず、政治指導者の一部は真に過去を反省しているのか疑わざるをえない言動を続け、日本の植民地侵略の犠牲を受けた周辺国の国民に大きな傷と憤怒を抱かせてきた」「わが政府は正しい歴史認識確立が韓日関係の根幹という立場の下、過去の日本の指導者らが数度にわたり行った謝罪と反省が、隣国の政府と国民から真実のものと受け止められるよう日本政府が自ら努力を強化すべきとの点を強調してきた」と論評。
台湾外交部(外務省)スポークスマンは「日本は過去の歴史を正しく見てほしい」と批判。香港の中国語紙明報は「小泉首相は、アジアの隣国の反対を無視し、A級戦犯が祀られている靖国神社に参拝した」と指摘。2005年リー・シェンロン首相は「同神社には(第2次大戦の)戦争犯罪人が祭られており、シンガポールを含む多くの国の人々に不幸な記憶を呼び起こす。戦犯をあがめる対象にすべきではない」と発言した。2006年シンガポール外務省は、「小泉首相靖国神社参拝を遺憾に思う。シンガポール政府は靖国問題に関する立場を繰り返し表明してきたが、それに変化はない」「東アジア域内で緊密な連携関係を築くという大局的な共通利益に助けとはならない」と批判。シンガポールで最大の華字紙・聯合早報では「靖国神社は日本のかつての軍国主義の象徴といわれており、彼の行動は、日本の隣国を怒らせるに違いない。靖国神社は、すでに、日本の右翼勢力の精神的支柱と集会の場となっている」と論評。マレーシアのマハティール前首相は「首相の靖国神社参拝は、中国だけでなく、韓国も怒らせてしまう。日本が行ういくつかの行為は、日米同盟を継続するのに役立っているのだろうが、米国の支援者である韓国を敵に回すことになってしまう」、「首相である限り、自分を公的な自分と個人である自分を分けることはできない」と批判した。華人団体の代表者は「マレーシア人は日本による占領下で苦難を強いられた。」と強調。タイの英字紙バンコク・ポストは「第2次世界大戦期間中、日本はアジアの国々に野蛮な罪の行為を犯したが、靖国神社A級戦犯の位牌を祀っている。小泉首相は2001年4月就任して以来、既に靖国神社を5回参拝した。この行為は日本の中国と韓国及び東南アジア諸国との関係に大きな影響をもたらし、日本軍国主義者の暴行を受けた被害国の人々の感情を傷つけた」と批判。ベトナムハノイ紙アンニン・トゥドーも「東アジアに荒波」の見出しで報道された。ヘンリー・ハイド米下院外交委員長が駐米大使に送った書簡では「靖国神社は、太平洋戦争での(日本の)軍国主義的な立場の象徴」と指摘し、「日本政府関係者らが靖国神社参拝を続けていることを遺憾に思う」と表明。
また小泉参拝と麻生太郎外務大臣などの問題発言を絡めて、シンガポール ゴー・チョクトン上級相は、2006年2月6日 アジア太平洋円卓会議で基調講演にて「日本の指導者たちは(靖国)参拝を断念し、戦犯以外の戦死者を悼む別の方法を考えるべきだ」「この件に関して、日本は外交的に孤立している。アジア諸国だけでなく、米国でさえ日本の側に立つことはできない」と発言した。仏ル・モンド紙は「(小泉首相による参拝は)私人の資格であっても、国際法廷で裁かれた人物を国家がたたえ、軍国主義の過去を免罪しているように見える」戦前の「超国家主義イデオロギー的支柱」であった同神社は現在も「政治的なメッセージを伝えている」と指摘した。米ニューヨーク・タイムズ紙は「日本の無礼な外務大臣」と題する社説で「麻生大臣の外交センスは彼の歴史認識と同様におかしい」と酷評した。英フィナンシャル・タイムズ紙は「(靖国神社遊就館が)日本兵が栄誉に満ちた解放者や犠牲者であり、侵略者ではないとする、桜の花のように美化された歴史観を訪問者に示している」遊就館の展示については「南京大虐殺を解放として展示し、日本の化学兵器使用や人体実験、韓国人の性的奴隷(従軍慰安婦)は省かれている。パールハーバー爆撃は…連合国の封鎖で強いられたとしている」と述べ、こうした歴史観に、中国や韓国だけでなく米国の政府当局者も「不快感を感じている」と指摘した。

2005年5月2日オランダ訪問した首相は、バルケネンデ首相と首脳会談した。

日蘭首脳会談 小泉純一郎 2005年5月2日
(第2次世界大戦中のオランダ人捕虜への虐待事件を踏まえ、)多くの国々の人々に多大な損害、苦痛を与えた事実を謙虚に受け止め、これまでも深い反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた。

2006年8月15日、小泉首相は中曽根以来21年ぶりに、終戦記念日靖国神社公式参拝を行った。
これにはアジアのみならず、ポーランドのゲレメク元外相、ドイツのシュミット元首相、オーストラリアのダウナー外相、イギリスのコータッツイ元駐日英大使などが「歴史認識」に懸念を表明し、新聞では米:ワシントン・ポストニューヨーク・タイムズ、USAトゥデー、ロサンゼルス・タイムズ、クリスチャン・サイエンス・モニター、英:インディペンデント、フィナンシャル・タイムズ、ガーディアン、仏:フィガロル・モンドリベラシオンなどから軒並み批判された。
・世界は靖国をどう見ているか
http://www.geocities.jp/social792/yasukuni/sekai.html
小泉首相靖国参拝に関する主な発言集
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/koizumiyasukuni.htm

「美しい日本」の強硬な安倍政権

ワシントン・ポスト紙「(安倍氏は)過去をごまかすことでは小泉首相より上だ。安倍氏東京裁判の正当性を疑問視してきた」「新首相は歴史に誠実でなければならない」「過去の誤りを認めないなら責任ある民主主義として受け入れられないだろう」、シンガポール・ストレーツ・タイムズ紙「安倍は明確な靖国問題で疑問の余地を残してはならない。もし彼が神社参拝を選べば、日本の指導者や天皇が過去に示した悲しみと後悔の表現は取り消されてしまう。小泉が鼻であざけったあとに北東アジアを包んだ冷気は長くとどまることになろう」と、就任前からその強硬な姿勢が各国から懸念をもたれていた安部普三首相は、2006年9月29日所信表明演説拉致問題の解決なしに国交正常化なし」の「対話と圧力」姿勢を堅持する。>http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2006/09/29syosin.html
10月8日訪中し、温家宝首相との首脳会談に臨む。中国首脳の来日は7年ぶり。北朝鮮には強硬姿勢を取り続ける安倍首相だが、核否認で小泉政権で冷え切った中国との関係の修復に当たっては、靖国参拝については明言を避けた。

中国訪問に関する内外記者会見 安倍普三 2006年10月8日
質疑応答:本日の会談において、中国の指導者から、歴史を鑑とし、未来に向かうとの精神につき言及があった。また、政治的障碍を取り除いて欲しい旨の話があった。私はこれに対し、過去の歴史を直視し、平和国家としての歩みを続けていく、我が国はかつてアジア諸国の方々に対して多大な損害と苦痛を与え、傷跡を残したことに対する深い反省の上に戦後60年の歩みがある、この思いは、この60年を生きた人達、そして私の共通の思いであり、そしてこの思いはこれからも変わることはないということを述べた。
靖国神社の参拝については、私の考えを説明した。そしてまた、私が靖国神社に参拝したかしなかったか、するかしないかについて申し上げない、それは外交的、政治問題化している以上、それは申し上げることはない、ということについて言及した。その上で、双方が政治的困難を克服し、両国の健全な発展を促進するとの観点から、適切に対処する旨述べた。
http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2006/10/08chinapress.html

翌日10月9日訪韓し、盧武鉉大統領と首脳会談を行った安倍首相は、やはり核・拉致問題を主軸とした会見をおこない、北朝鮮に対して厳しい対応を訴えた。

中国訪問に関する内外記者会見 安倍普三 2006年10月8日
質疑応答:かつて、日本がアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与え、そして大きな爪痕を残した。このことについて深刻な反省の上に日本の戦後60年の歩みがある。この思いは、この60年生きた人々と私は共通の思いであり、この思いはこれからも変わることはないと思う。そして、靖国に参拝する、しないという問題だが、靖国問題についても盧武鉉大統領に私の考えを申し上げた。
http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2006/10/09koreapress.html

日韓両国でのいずれの会見も「歴史認識」問題について安倍首相は、質問されて初めて言及する類ものであった。
2006年10月16日国連安全保障理事会の対北朝鮮制裁決議採択を受け、財務省は改正外為法による金融制裁強化の具体的な検討に着手した。19日北朝鮮のミサイル発射を受けた安保理決議に基づいて金融制裁を発動。20日閣議北朝鮮核実験は『日朝平壌宣言』違反とする答弁書を決定する。
10月30日北朝鮮国営朝鮮中央通信は、安倍首相の国家論「美しい日本」について、「日本の新内閣が本当に美しい国をつくろうとするなら、(対米追従の)悪い癖を直すべきだ」と論評、労働党機関紙も「植民地支配の罪悪を清算しないで、美しい国をうんぬんするのは無意味」と非難。日本が米国の対北朝鮮敵視政策に「便乗」しているため、日朝間では「軍事的衝突が起こり得る険悪な情勢が生まれている」と懸念した。また北朝鮮への追加制裁検討の方針を取りまとめたことにも反発した。こうして「核問題」主体の6カ国協議の駆け引きが始まる。
2007年4月11日温家宝中国国務院総理が来日して「日中共同プレス」を発表した。
拉致問題」は、拉致問題対策室を設置すれども結局まったくなんの進展ないまま、最後は「政治とカネ」な失言に追いまくられて安倍政権は突然自壊する。

国連は1992年に日本政府から「従軍慰安婦」に関する資料を入手して検討を始め、調査・論議の結果、慰安所国際法違反であるとするIFOR(国際的な人権擁護組織)の提案が採択され、正式な国連文書として配布された。1996年1月4日国連人権委員会に提出された『戦時軍性奴隷制問題に関する朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国及び日本への訪問調査報告書』(クマラスワミ報告書)は、慰安婦は「軍性奴隷制」であり、日本政府が国際人道法の違反につき法的責任を負っていると論評。1998年6月22日提出の『奴隷制の現代的形態』(マクドゥーガル報告書)では、慰安婦制度を「レイプ・センターでの性奴隷制」と解釈した。そして以下を日本政府に勧告した。
 (1)日本帝国陸軍が作った慰安所制度は国際法に違反する。日本政府はその法的責任を認める。
 (2)日本の性奴隷にされた被害者個々人に補償金を支払う。
 (3)慰安所とそれに関連する活動について、すべての資料の公開をする。
 (4)被害者の女性個々人に対して、公開の書面による謝罪をする。
 (5)教育の場でこの問題の理解を深める。
 (6)慰安婦の募集と慰安所の設置に当たった犯罪者の追及を可能な限り行う。
1997年国連差別防止・少数者保護小委員会では「アジア女性基金」事業を「十分とは言えないが、問題解決に向けての一歩前進である」と一定の評価をした。2001年6月国際労働機関ILOは、慰安婦問題が国際労動協約に反する案件として、正式に採択された。 2005年ユニセフ「ストップ!女性への暴力」キャンペーンの中でこの問題を扱った。これらの勧告に対して一貫して政府は「事実関係については留保」という態度を示し個人補償などの必要性を認めていない。
以前より河野談話否定するタカ派で、就任前よりその「歴史認識」について中韓に懸念表明されていた安倍首相は、「慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会」を立ち上げ、2007年3月慰安婦問題について国会答弁で従軍慰安婦を集めるために旧日本軍が直接、強制した具体的な証拠はない」と主張。中国・台湾・韓国・フィリピン・インドネシアらの当事者国から相次いで抗議声明がだされ、欧米からは過去の旧日本軍による戦争犯罪を否定する「歴史修正主義」との批判を浴びた。米ワシントンポスト紙は「北朝鮮による日本人拉致問題に熱心なのと対照的に日本自身の戦争犯罪には目をつぶっている」「二枚舌」と論評したのを始めとして、日系議員が外交委員会に提出していた従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議案と共に、米主要各紙は日本政府の不誠実さを大々的に報道した。これを阻止すべく首相は米ニューズウィーク紙などに応えて、慰安婦について「人間として心から同情する。首相として大変申し訳なく思っている」「彼女たちが慰安婦として存在しなければならなかった状況につき、我々は責任がある」との認識を示した。2007年4月27日訪米した安倍首相は、ブッシュ大統領との首脳会談の中で慰安婦問題について説明し了解を得て、採決を見送らせ問題沈静化させようとした。が、女性を「性奴隷」とした「人権問題」として、抗議運動は拡大していった。
こうした抗議&報道の広がりに危機を感じた慰安婦強制連行否定派の5名が主体となり、2007年6月14日付「歴史事実委員会」名で米ワシントンポスト紙に慰安婦募集に日本政府や軍の強制はなかった」などとする全面意見広告『The Facts』を出した。しかしその文章そのものにも著しい矛盾があったことなどから酷評され、逆に慰安婦制度の非論理性がクローズアップされることとなる。このような経過も相まって、2007年6月にアメリカ合衆国下院外交委員会で、従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議である『アメリカ合衆国下院121号決議』が可決された。これに前後してカナダ・英・オランダ・EU・フィリピン・オーストラリア・台湾・香港・韓国などの行政府議会機関で日本政府に慰安婦問題解決を促す勧告・決議が、次々と国際社会では採決されていった。
従軍慰安婦問題を論じるの掲示http://ianhu.g.hatena.ne.jp/bbs
アムネスティ:60年を経てなお待ちつづける:日本軍性奴隷制のサバイバーたちに正義を(「従軍慰安婦」問題)2005年
http://www.amnesty.or.jp/uploads/Japan_Sexual_Slavery_final.pdf

内政問題山積でぐだぐだ、福田を迂回して麻生政権

課題山積して突然政権について問題が片付かないままあっという間に辞めた福田康夫首相は、ダボス会議と北海道サミットという国際大イベントには参加は出来た。
2006年12月28日就任始め意気揚揚と訪中し首脳会談のついでに、中日派なところを覗かせて北京大学でスピーチをした。

福田総理訪中スピーチ『共に未来を創ろう』 福田康夫 2006年12月28日
温家宝総理は、本年4月の訪日の折、わが国の国会において、「歴史を鑑(かがみ)とすることを強調するのは、恨みを抱え続けるためではなく、歴史の教訓を銘記してよりよい未来を切り開いていくためだ」と仰いました。私は、この温総理の発言を厳粛な気持ちで受け止めました。長い歴史の中で、この様に不幸な時期があっても、これをしっかりと直視して、子孫に伝えていくことがわれわれの責務であると考えています。戦後、自由と民主の国として再生したわが国は、一貫して平和国家としての道を歩み、国際社会に協力してきたことを誇りに思っています。しかし、そうした誇りは、自らの過ちに対する反省と、被害者の気持ちを慮る謙虚さを伴ったものでなくてはならないと思います。過去をきちんと見据え、反省すべき点は反省する勇気と英知があって、はじめて将来に誤り無きを期すことが可能になると考えます。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/19/efuk_1228.html

外交がらみの内政問題として、アフガニスタンのテロ特措法で海外派兵していた海上自衛隊が、インド洋で給油した米軍補給艦がイラク戦争に参加する空母キティホークに給油してたことが発覚してイラクでの作戦に使うことはあり得ない」という国会答弁に火がつく。2007年11月2日日本外国特派員協会講演で「友人の友人がアルカイダと衝撃発言をした鳩山邦夫法務大臣は、爆弾テロ事件被害者遺族から抗議され釈明文を出したが、「治安に関する私の発言は一つのうそもありません」と強調。

2008年9月24日、4度の立候補の末にやっと政権が巡ってきた麻生太郎首相だが、当初は短命の選挙管理内閣なはずが、じりじりと就任期間を延ばしている真っ最中。
2008年10月2日「いわゆる村山談話と17年8月15日の小泉純一郎首相の談話は、先の大戦をめぐる政府としての認識を示すものであり、私の内閣においても引き継いでいく」との方針を示した。10月5日従軍慰安婦問題に関して、「河野談話」を引きつつ「政府の基本的立場は現在も談話をフシュウする」といったが、踏襲の読み間違えは、以後「KY(空気・解散・漢字読めない)ぶり」を大々的に揶揄されることとなる。
しかし軽口で鳴らす麻生首相は「歴史認識」問題がらみについても、過去にいくつも問題発言をしている。
 2003年5月31日東京大学学園祭で、創氏改名朝鮮人が望んだ」「日本はハングル普及に貢献した」
 2005年10月15日九州国立博物館開館記念式典で、「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」
 2005年12月25日韓国中央日報のインタビューで、韓国人徴用者を強制労働させていた麻生炭鉱の調査について聞かれ、「戦争前の話はよく知らないが、そういう資料が残っていれば提供する」。
 2006年1月9日、福岡県飯塚市での集会で、シドニーで予定されていた日米豪閣僚級安全保障対話が延期されたことに関連し「(イスラエルの)シャロン首相の容態が極めて悪く、会議途中でそのままお葬式になると意味がないので延期ということになった」
 2006年2月4日福岡市での講演で、日本が植民地台湾の義務教育に力を入れ「台湾はものすごく教育水準が上がって識字率などが向上したおかげで今極めて教育水準が高い国であるが故に、今の時代に追いつけている」「我々の先輩はやっぱりちゃんとしたことをやっとるなと正直そのとき思った」
 2006年5月26日アジア諸国国際交流会議「アジアの未来」で、「近代の生んだ毒......。それはすなわち『国民国家』であり、『自民族中心主義』という意味に規定される『ナショナリズム』でした。この2つは、地図に黒々と、太い国境を引く思想でした。また時として、その国境を外へ外へ、無理やりにでも広げていくのをよしとする考えでした。(中略)他人(ひと)のことは言いますまい。日本人は一度、国民国家ナショナリズムという、強い酒をしたたかにあおった経験があります。皆さんこれからのアジアは、国民国家の枠、ナショナリズムの罠に絡め取られるようではいけません」
 2007年2月19日衆議院予算委員会で、米下院に提出された慰安婦問題をめぐる対日非難決議案の「日本軍による強制的な性奴隷化」に、「客観的な事実にまったく基づいていない。はなはだ遺憾だ」
 2007年3月21日長崎県時津町で講演で、ヨルダン渓谷の開発を進める「平和と繁栄の回廊」構想に触れ、「米国人にできないことを日本がやっている。日本人というのは信用がある。青い目で金髪だったら多分駄目よ」「われわれは幸いにして黄色い顔をしている。そこ(中東)で搾取をしてきたとか、ドンパチ、機関銃撃ったとか1回もない」
 2006年7月4日北朝鮮ミサイル日本海発射に、「今日(7月5日)は、キムなんとか(金日成を指す)の記念日だったな(実際は7月8日に亡くなっていて無関係)」「距離とか方向とか見てみますと、むしろソ連領に近いほうに発射されてますんで」
 2008年7月に講演で「1930年代、ドイツではナチス党がやたら出てきて、当時のワイマール共和国に対し、度々審議拒否。しょうがない、この際ナチス党にやらしたらどうだといって、ああいうことになった」民主党ナチ説。

現状は、首相も含めて閣僚の問題発言は、もっぱら内政事に集中している。海外からも、麻生政権は中継ぎ視されているからか、世界同時金融危機で自国内政重視+国際協調なのか、関心は薄い。
しかし、2008年10月31日民間公募に応募していた田母神俊雄航空自衛隊幕僚長の『日本は侵略国家であったのか』侵略否定論文が明らかになった。その趣旨は日中戦争侵略戦争ではない」「日米戦争はルーズベルトによる策略であった」「諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。」「アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速し、日本の伝統文化が壊されていく。」などで、過去の旧日本軍軍事行動は侵略戦争ではなかったとし、現在の日米安保条約体制を否定するものであった 。「論文発表は、防衛省自衛隊への国内外からの信頼を著しく傷つけた」として麻生首相はただちに幕僚長を更迭した。その処分に納得しない田母神は、参議院外交防衛委員会参考人招致)・保守系雑誌・TV番組・各種講演会などで持論を展開した。現役軍指揮官トップが繰り出すこうした発言の数々で、波紋は広がった。
11月1日韓国外交通商省報道官は、「論文で主張した内容は歴史の事実を覆い隠すことでありえないことだ。このような歴史歪曲が繰り返されてはいけないということをもう一度強調しておきたい」と批判声明を発表した。11月1日中国外務省は、「自衛隊の現役の高官が公然と歴史を歪曲し侵略を美化したことに驚がくし憤慨している」と批判した。11月4日中国外交部報道官は「日本軍国主義は対外侵略戦争を起こし、中国人民を含むアジア人民にひどい災難をもたらした。これは疑う余地のない歴史的事実である。われわれは日本自衛隊の現役高官が公然と歴史をわい曲し、侵略を美化したことに驚きと憤りを感じている。歴史を正しく認識し、取り扱うことは、中日関係の順調な、安定した発展のための政治的基礎である。われわれは日本政府の態度表明とすでにとられた措置に留意している。中日双方は共に努力して、中日関係の大局を守るべきだ。」と談話を発表。11月14日訪米中の麻生首相に米国務省高官は、中国侵略や朝鮮半島の植民地支配を正当化する人物が自衛隊の要職に就いているのは好ましくないと「論文の主張にはくみせず、政府見解と異なるという点をはっきりさせるため、日本政府が迅速に適切かつ決然とした行動を示したことに、米政府やアジア諸国は安心している」といいつつも、近隣諸国が受け入れ難い歴史認識を日本政府や自衛隊の幹部が公然と示し、関係を悪化させることのないよう促した。