2005-08-15から1日間の記事一覧

オープンな理想論

「理想」を掲げる側では、いくらこ難しい理論をこねくりまわして風呂敷を広げたところで、こうした「死屍累々」状況にほうかむりをして無責任なその場の癒し強調で個人の日常の芽を積み、結果的に視野狭窄になることでしか続かないような運用(囲い込み)を…

解脱=理想の折り畳み方

さて、そうした時、ふみあしさんは、その〈個〉がカバーする筈の〈私〉的自己は脆弱性・不安定性なものであり、なにか別のものでささえないといけないと提起されている。id:hizzz:20050802#p2 all or nothing でカキコしたように、世の中は放っといても、そ…

理想/原理の使い方

「理想」は、ひとつの表現物=作品でしかない。そのカタチを愛でてても、いつまでたっても自己はおろか思想的自己も生成されない。その関係では、ソレは作者のものであり続けるからだ。ワタクシが考えるに、信仰以外の生き方としてそうした「理想」とは、ソ…

all or nothing

「理想」=輝かしい「正しい」自己という「超越思想」に執着すると、そぐわない不都合なこと、グレーゾーンなことを次々切り捨て、「理想」との整合性を保とうとする。all or nothing であることに、壮快感さえ感じているひとが多いのではないだろうか。まあ…

よい子理想像

上記のようなダメ縮小再生産ループを抜ける方法として、拡大再生産方法がある。それが、強大な自己=理想のアタシという自分さがしである。 人の評価を気にするあまりに、その時々の強い立場(と自分が思った)ひとの意見に沿う「よい子」に一生懸命変身して…

「傷つく」ひとびと

前回では、(政治的)運動に於ける死屍累々をカキコした。「運動」というかなり特殊な例であるので、それに関わっていないひとは、このうっとーしージミなハナシに「関係ない」のかといえば、そうでもない。 リアル日常で、なんだか人の目(評価)が気になり…

原理と個人の付き合い方

世の中は靖国&選挙といううざいハナシで盛り上がって?いるが、それとは関係なくシエスタしつつ、延々じみぃ〜でもっとうざいハナシがつづくのだ。と、ゆーわけで、おくればせながら前回の続き。