人権理念の周縁に留め置かれ続ける流浪の民

ショアー』などの商業的成功も手伝って、一般的には「ホロコースト」「ディアスボラ」といったら、ユダヤ民族迫害が第一義に想像されてしまうのだが、迫害は彼らだけの独占問題ではない。id:hizzz:20090204で書いたように、大戦後は東ヨーロッパに住む多くのドイツ系が暴力的な迫害を受け、ほとんどが国外に追放された。ヨーロッパの20世紀は、少数民族集団に対する暴力が最高潮に達した時代だった。という訳で、遅ればせながら、id:hizzz:20090214前回の続き。

もう一つのホロコースト

欧米で神聖化したホロコーストの悲劇と、それを金儲けに利用するユダヤ系産業資本を批判して、「ホロコーストの唯一性を主張することは、ユダヤ人の唯一性を主張することになる。ユダヤ人の苦しみではなく、ユダヤ人が苦しんだということが、ザ・ホロコーストを唯一無二のものにする。言い換えれば、ザ・ホロコーストが特別なのはユダヤ人が特別だから、ということだ。」と、ノーマン・フィンケルシュタイン『ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』は指摘した。その無謬特別枠をゲットしたユダヤ人に対して、埋没してしまった人々がいる。
ホロコーストの被害者について、彼は続ける。「ナチは50万人ものジプシーを組織的に殺害したが、これは比率で言えば、ユダヤ人虐殺にほぼ匹敵する犠牲者数である。イェフダ・バウアーなどのホロコースト・ライターは、ジプシーの犠牲はユダヤ人への残虐な攻撃とは違うと書いているが、ヘンリー・フリードランダーやラウル・ヒルバーグといった優れたホロコースト歴史家は、同じだったと主張している。」フィンケルシュタインによれば、ひとつの民族と認知されていない「ジプシー」と、ユダヤ民族とが同等であるとついぞ思い至らず、「単純に、彼らはジプシーの死とユダヤ人の死を並べて考えることができない」し、「ジプシーの大量虐殺を認めれば、ザ・ホロコーストの一手販売権を占有できなくなり、それに伴ってユダヤ人の『道徳的資本』も失われ」、「ナチがユダヤ人と同じようにジプシーを迫害したということになれば、一千年にわたる異教徒のユダヤ人憎悪が最高潮に達したのがザ・ホロコーストである、という教義がまったく成り立たなくなるからである。」激烈な口調で述べる。
ナチスは1939年10月にいわゆる「収監通達」=ロマ移動禁止令を発布、それ以降各地に「ジプシー勾留収容所」が設置された。そして、そこに強制収容された人々のその後の運命は、ユダヤ人たちと同一の悲劇が待ち受けていた。*1
ホロコースト」という言葉そのもの意味が、「燔祭の供物」を意味するユダヤ教の言葉(もともとギリシャ語)であり、一般的にホロコーストは「ナチスによるユダヤ民族の大量虐殺」と理解されている。が、ナチス疑似科学的「人種学」によって「異民族の血統」とされ、「ユダヤ人」も「ジプシー」も「劣等人種」の烙印が押され*2、それら民族の殲滅作戦=ホロコーストが企画された。その意図や実行方法からすれば、ユダヤ人のホロコーストもロマのホロコーストもまったく変わらないのだが、ホロコーストを裏付ける史料が、ロマ民族の場合よりも、ユダヤ民族に関してはるかに多く残されたという違いがあった。が、1989年以来、東ヨーロッパ諸国の資料館に保管されている諸資料が開示されるようになり、資料的にもロマのホロコーストを裏づけるさまざまな新事実が発掘された。

*1:例えば、アウシュビッツ死の天使・メンゲレは、「医学実験」に好んでロマの子供を使ったという。

*2:1935年9月発布ニュールンベルグ法の「ドイツ血と名誉を守る法」は、祖父母4人のうち、ユダヤ人3人が含まれている場合を<混血ユダヤ人>、ユダヤ人2人が含まれていると<半ユダヤ人>、1人のユダヤ人が含まれると<4分の1ユダヤ人>と規定した。ジプシー(ロマ)は、曾祖父母8人にロマが1人でも含まれていると<混血ジプシー>とされた。そして、アーリア人(ゲルマン系北方民族)と、<異人種の血統>とされたユダヤ人・ジプシー・黒人との結婚・婚外交渉禁止。違反者は<人種恥辱罪>あるいは<血の罪>という罪状名で晒し者となるか収容所に送られた。ユダヤ人が「ダビデの星」を衣服に付けとくことを義務づけられたが、ロマのそれは「ツィゴイナー」と書かれた黄色の腕章であった。

「ジプシー」と呼ばれたロマ

エジプト人=エジプシャンが転じた「ジプシー」という呼び名は、日本ではポピュラーであるが、その名称は蔑称として意味づけられたことが強いので、現在では公式にはその彼らは「ロマ」と名指す。その人々は、インド北西部パンジャブ地方起源地として、8〜12世紀にかけて西へ移動し、ビザンチン帝国首都コンスタンチノーブルをへて、バルカン半島北上しヨーロッパ全土に移民してきたという。ロマの語源はロマ語の「ロム(Rom)」で、「一人の人間」の意味を持つ。しかし「人権第一」を普遍的価値としてる筈のヨーロッパに住む彼らは、長らく「一人の人間」として権利を獲得してるとはいえないし、「先進国」を自負するヨーロッパ人達からも、自分たちと同等の「一人の人間」としてロマは認知されていないようだ。知識人を自負する社会派エリートさんたちの人権に関する書物にも、ロマに触れているものがほとんど見当たらない。
旧東ヨーロッパ諸国で600万、ルーマニア250万、ハンガリーブルガリア80万づつ、セルビア・モンテネグロ60万、スロヴァキア52万、スロヴァニア1万、総数約800万人とロマの人口は推定されているが、今なお差別を恐れて自身を「ロマ」と申告しない傾向が強いという。放浪の末にロマ語も各国語と共有混合して使われており、言語として単独に使用されている訳ではない。
今日でも、ユーゴスラビアでは60歳以上の識字率50%未満であり、西側オーストリアでも小学校卒業率50%程度だという。これは、彼らの民族文化と西欧普遍文化との齟齬と、そこからくる激しい差別が関係しているという。家族主義で問題の処理や解決を集団で行い、子育ては不干渉の放任主義である民族慣習・規範に対して、個人の自立を最大の目標として、個々人の業績や自由競争を重視する学校・社会とでの折り合わせがつかず、しばしば対立してしまう為である。
プレゼンスを示すことこそ一人前の人間たりうると考える社会で、そんな彼らは「人目と引かないことと匿名性が最良の「護身術」である」と、社会参画からずっと身を潜めてヨーロッパ各国で下部構造の周縁民として暮らしてきた。

国民の線引き

同性愛者や精神病者や犯罪者といった個人属性の他に、ナチが収容所送りにした人々の民族属性として、ユダヤとロマ(スィンティ=ドイツ・ロマ)*1を名指ししたということは、ほかの民族と比べて、彼らが「土地」に根差しているかいないかの大きな違いがあったことにもよるだろう。だからこそ、戦後ユダヤ民族達は、イスラエルという土地を領土として獲得することを、差別・侮蔑の解消と自己アイデンティティ確立の第一義にかかげた。
以前書いた通りid:hizzz:20090204、ヨーロッパでは、特定地域にまとまって住んでいる人々が、やがて固有の文化によって他の集団と区別しながら、民族集団としての纏まりを確保し、その幾つかが結束して国民国家を構築し、自身の権利と安全を確保するに至った。
しかし、多民族が複雑に入り組んでいる地方では、どのようにラインを引こうとも、どうしても、そのラインから漏れてしまう部分(民族と生活圏)が出てくる。19世紀から今日に至るまで、国民国家形成のために国境線が目まぐるしく変更されてきたが、その度ごとに国家の主役からはずれた少数集団が、国外に強制的に移動させられたり、あるいは虐殺されてきた。国家の主体をなす民族集団の権利を保障するフレームとして生み出された国民国家は、民族集団を多数派と少数派にはっきりと分け、新しい人種問題を生み出してきたのである。

優れたヨーロッパ他誌の著者として知られるアメリカ合衆国の文化地理学者ジョーダンは、ヨーロッパを「特定の文化をもつ人々が居住し、その文化の刻印がなされている地域」として描写したが、それは、特定の文化を持つ人々、つまり民族集団が、ヨーロッパ各地に固有の居住地域をもち、自己の権利を主張し、安全に豊かな生活を確保するための地域的な広がりを要求してきたという歴史的経過を反映したものであった。言い換えれば、ヨーロッパという地域は、政治力や経済力に違いこそあれ、特定の地域と結びついた民族集団が共存し対立を繰り返してきたところとして理解することができる。
国家の枠組みを越えた統合を推し進めているEUも、まさにこうした文脈の中でとらえることができる。すでに述べたように、ヨーロッパのほとんどの国は、民族集団を母体にして生まれた「国民国家」であり、ゆえにこれまで繰り広げられてきた国家間の紛争のほとんどは、民族間の対立を意味してきた。そこで国家間の対立を解消するヨーロッパ統合は、国家をもつ民族集団間の融和と相互理解があってはじめて実現されると考えられる。国家の連合体としてのEUの運営にそれぞれの国を担う民族集団が平等に参加することが前提になっているのは、こうした経過を踏まえれば当然のことといえるだろう。
しかし、現実はヨーロッパに居住する民族集団のすべてが国家をもっているわけではない。それどころかヨーロッパにはきわめて多くの少数民族集団がおり、それぞれが帰属する国家内で自身の権利を確保するための主張や運動を行っている。なかでもロマは、ヨーロッパのほとんどすべての国に居住し、総数800万人以上といわれながら、国家をもたず、しかも数百年にわたって激しい差別と迫害を受けてきた。このことが、国家を単位にした地域統合を進めるEUのシナリオにおいて、彼らの地位を斟酌されにくいものにしてきた理由の一つであるし、実際、最近まで彼らの存在すら真正面から議論する機会は限られていた。

加賀美雅弘『「ジプシー」と呼ばれた人々―東ヨーロッパ・ロマ民族の過去と現在

*1:ロマのいくつかの集団のうちの一つの名称。伝統としてきた生業がそれそれに別で、それに従って言葉も変化している。東部ヨーロッパ「カルデラシュ」、中部ヨーロッパ「マヌシュ」、南西ヨーロッパ「カレー」に大別され、「スィンティ」はマヌシュ系のドイツにいたグループであり、伝統職業は楽器制作職人や楽師。

ホロコースト生還者たちの戦後

かろうじて生き延びて、収容所から生還した多くのロマは、無国籍者とされた。やっとこさ収容所以前の土地にたどりついても、もともと厄介視されていた村落は、物理的にも破壊されており、また生き残った同族もわずかであるので、昔ながらの大家族集団による文化の継承も営めない、文字通り民族的破壊状態であった。相も変わらぬ「ジプシー差別」がまかり通るそんな中で、ロマの要求を支援するような民族国家もなければ、ロマ自身による自主的運動体も、皆無であった。

郷里に戻っても、多くの身内・親族や同胞たちはナチスによって殺されており、再会をはたすことができなかった。「自分だけが生き残った」という心痛とある種の「罪悪感」、それを生還できた強制収容所元被拘禁者の証言の端々から聞きとることができる。経済共同体でもあった大家族集団をロマ民族は伝統的に形成していたが、あまりにも多数の家族員がナチスのロマ絶滅政策の犠牲者になったため、その大家族を立て直すことはもはや不可能であった。また、伝統文化の主たる担い手であった老齢者たちの多くが強制収容所でその命を落としたことによって、伝統もいっしょに葬りさられた。運よく生き延びたとしても、ナチス統治下で体験した虐待と悲惨な生活によって、多くの帰還者はその民族としてのアイデンティティを奪われており、「根無し」になっていた。ロマ民族の伝統文化の継承は困難になっており、民族としての統合も破壊されていた。敗戦後のロマ社会はズタズタにされていたのである。

金子マーティン『「ジプシー」と呼ばれた人々―東ヨーロッパ・ロマ民族の過去と現在

しかしドイツで1971年「西ドイツ・スィンティ連盟」が結成され、それは「ドイツ・スィンティ・ロマ中央委員会」に発展して活動していく。1982年ロマが蒙ったナチス迫害が、紛れもない「民族抹殺」であったと、シュミット首相が公認するに至る。またオーストリアでは、1995年ロマを「少数民族」として、ヨーロッパで初めて認知した。

EUとロマ・少数民族

1999年欧州評議会は、「EU加盟申請諸国におけるロマの地位改善のための対策に関する原則」を決定した。「OSCE(ヨーロッパ安保協力機構)の公約に則り、ロマに帰属する人々が直面しているきわめて重大な困難を認識する必要がある。そして、安全な機会均等を実現するための効果的な対策に着手する必要がある。ロマが社会において安全に平等な立場で活動できるよう、彼らに対する差別を根絶するための努力がなされなければならない。主たる目標のひとつには、多くのロマが住居する国々にロマの問題への包括的なアプローチを行うよう指導することである。ロマと非ロマの間に橋をかける努力が、長期にわたる問題の解決の展望がロマの地域の改善にとって重要なのである。」2000年、人種や民族集団によって差別されない平等の原則の適用を促す、EU基本設立条約が制定され、職業においても平等に扱われることを目的とした一般的枠組みを決定した。その中で「少数民族集団に降りかかるあらゆるかたちの差別に対して、適切な措置を講じる。」「ロマとスィンティの子供たちのために、彼らが必要とする教育制度を整備する。」「移動生活者のために、ヨーロッパ共通の身分証明書を導入する。」と、ロマなどの少数/移動民族に対する保護も明確に言及された。
が、しかし、結局これらが明言されているということは、ヨーロッパ各国に於いて、これらの基本的人権が、ロマ達少数/移動民族には、これまで省みられてこなかったということも示す。
ナチス後継国に属しながら、戦後「ナチス被害国論」を公的歴史観として唱え、自国の戦争責任公認を回避しつづけたオーストリア政府の態度を激しく批判する金子(オーストリア在住)は、ヨーロッパへの玄関口に位置するオーストリアにある排外主義と共に、ロマ並びに流入移民達に対する冷たい態度を指摘する。

オーストリア国内在住のすべてのロマが「民族集団」の構成員として認められたわけではなく、それがあくまでもオーストリア国籍者のロマ、政府の言葉を借りれば「原住」とされたロマに限定されたことだろう。それは旧態依然とした時代遅れの「民族国家」的解釈であり、ヨーロッパ統合というEUの精神からもかけ離れているといわねばならない。
1960年代以降、東ヨーロッパ諸国(おもにユーゴスラビア)から多数の外国人労働者が、さらに1990年代に入ると、旧ユーゴスラビアチェコルーマニアブルガリアなど体制が崩壊した国々から、多くの政治難民オーストリア流入した。オーストリア在住の合法的外国人は、1993年度に286,667人を数え、外国人労働者はオートリア労働人口の9.3%を占めるに至った。その正確な実数は判明しないものの、数千人規模のロマもそれらの外国人労働者や難民に含まれている。他国から流入したオーストリア在住のロマの大多数は、東ヨーロッパ諸国の国籍をもつ「外国人」であるため、「民族集団」の範疇に含まれない。つまり、オーストリア政府による何らの保護も期待できないばかりか、外国人としてのさまざまなふりを蒙っている。「外国人の社会統合」に関する1995年実施の調査は、「調査8ヶ国のうち、オーストリアの外国人関連法がもっとも厳しい」と結論づけている。かなり長期にわたってオーストリアに在住した外国人ロマがたとえオーストリア国籍を取得したとしても、やはり「民族集団」の構成員としての権利を獲得することはできない。なせなら、オーストリア国籍取得後、継続して3世代をオーストリアで暮らさないかぎり、「オーストリア原住者」と認められないからである。同じロマ民族に属しながらも、「民族集団」としての保護から完全に除外されているため、外国人ロマの社会的状況はオーストリア・ロマのそれよりもさらに劣悪である。外国人ロマの相談業務をおこない、それらのロマが直面する諸問題の解決に尽力しているロマノ・ツェントロやケタニ協会のような自主的なロマ組織もあるが、オーストリア中央・地方行政の外国人ロマへの対応は、総じていえば冷淡であるというほかはない。

金子マーティン『「ジプシー収容所」の記憶―ロマ民族とホロコースト

EUでにわかにロマが注目され議論の対象になってきたことは、EUの旧東ヨーロッパ諸国への拡大の流れと連動する現象である点に、加賀美は注目する。

ロマの多くが旧東ヨーロッパ諸国に居住していることから、東方への拡大はEUが多数のロマを抱え込むこと、ロマがEU域内における最大の少数民族集団になることを意味していた。ハンガリーチェコ、スロヴァキアなどの加盟申請国に対して、EUが各国内にあるロマ問題の解決に厳しい注文をつけたが、それは、それぞれの国において依然として十分な権利と安全を確保していないロマに対するEUの積極的な保護の姿勢とみることができるだろう。しかし、従来からのEU加盟国においてすら、ロマに対する保護の対策がいまだ十分になされておらず、ロマの社会的問題が表面化している現実を見るにつけ、近年になってロマ問題が積極的に議論されるようになったのがむしろ、加盟国の増加によって多数のロマを抱え込み、労働市場社会保障制度への新たな負担を背負い込むという不安に対するEU加盟国の保身的な動きと見えなくもない。
いずれにせよ、ヨーロッパを統合するEUが多様な民族集団で構成される以上、ロマが民族集団としての尊厳をもち、基本的な権利を確保できるような枠組みが新たに提示される必要がある。ロマの地位を向上させ、EUの一員として統合に積極的にかかわる体制づくりが今、求められている。
これら新規加盟国に多く居住するロマの人々が、経済統合の実現にとって重要な鍵になっている。彼らの生活水準を高めることなしに、これらの国々がEUの経済統合に参与することは難しい。これは、従来からの加盟国にとっても重要な問題である。彼らが、よりよい生活や就業先を求めて国境を越え、特定の地域の社会保障制度や労働市場を混乱させることが危惧されている。ドイツやフランスなどは国内にすでに多くの外国人労働者を抱えており、新たにロマが大量に流入すれば失業者が増加し、社会不安が高まることが予想されるからである。

加賀美雅弘『「ジプシー」と呼ばれた人々―東ヨーロッパ・ロマ民族の過去と現在

かって石原慎太郎が『中央公論』1989年10月号で得意げに、「ヨーロッパで行われている幼児の誘拐はジプシーたちの新しい仕事の一つで、彼らを操る協力かつ広範なシンジケートが存在していて、その組織に依頼されてくる注文に応じて密かに獲物が物色され、機会を捉えての巧みなあるいは強引な誘拐が後を絶たない」と偏見をぶちかましていたが*1、保守化を強めるイタリアでも、治安悪化をロマのせいにして、彼らを「強制管理」しようとする動きが出ている。

イタリアのイニャツィオ・ラルッサ(Ignazio La Russa)国防相は11日、全国民から指紋を採取する方針を明らかにした。政府が進めるロマ人全員に指紋押なつを義務付ける政策が、欧州連合EU)から「人種差別」と批判されたことを受け、これをかわすための措置とみられる。
ロマ人からの指紋採取は、ロベルト・マローニ(Roberto Maroni)内相が前月26日に発表した政策で、国内のロマ人集落で暮らすロマ人とその子どもたちから指紋を強制採取するというもの。EUは10日、これを「人種差別政策」であるとして、イタリア政府に撤回を求める決議を採択した。イル・メッサジェロ(Il Messaggero)紙の報道によると、ラルッサ国防相はこうした批判をうけ「この際、国民全員の指紋を採取することにする。これならば人種差別との疑いも払しょくできるし、ロマ人の子どもたちからも指紋をとれる」と語った。ラルッサ国防相は、右翼政党「国民同盟(National Alliance)」議長でもある。
キリスト教の慈善団体「聖エジディオ共同体(Sant'Egidio)」の調べでは、イタリア国内に暮らすロマ人は13万人から15万人とみられる。しかし、こうしたロマ人に対しては、犯罪や治安悪化を招くとして厳しい目が向けられている。

伊国防相、ロマ人差別批判をかわす裏技 「全国民の指紋採取を」 2008年07月11日
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2416951/3116424

EUの美しい理念の積み重ねの影で、いかに差別というものが根づよいか、人々にかさぶたのようにべったりとへばりついているのか、それが故に殊更に意識的になっておかねばならないのである。
アムネスティ・インターナショナル総事務長は、アムネスティレポートの前文で、国際法に対する挑戦的アメリカの態度と共に、「法の支配の尊重によって結びつき、共通の基準と合意によって形作られ、寛容と民主主義と法治主義と人権に献身する価値観の連合体」をうたっている欧州連合が包括している筈の、ヨーロッパの二重基準を指摘している。

EUの規制を行き過ぎたという不満の声は多いが、域内の人権規制の不足に憤る声はほとんどない。現実には、EUは、EU法の枠外にある人権問題に関して加盟国家の説明責任を果たせることができずにいる。2007年に創設された基本的権利局が委任された権限は限られていて、現実的な説明責任を要求することができない。加盟を求める国には高い人権基準を要求(それでいいのだが)しながら、いったん加盟が認められた国は基準に違反してもほとんど、あるいはまったく説明責任を求められないのである。
EUにしろその加盟国家にしろ、自らが拷問に荷担していながら中国やロシアに人権尊重を呼びかけられるだろうか?EUは、自らの加盟国が難民と庇護希望者の権利を制限しているというのに、他のずっと貧しい国々に国境を開けと要求しできるだろうか?域内に暮らすロムやムスリムや他の少数民族に対する差別に取り組むことができずにいるのに、外国に対して寛容を説くことができるだろうか?

アイリーン・カーン「果たされなかった約束」レポート前文

欧州全域で、ロマに対する差別が根強く蔓延していた。ロマは多くの局面で一般生活から排除され続けており、住宅や雇用、保健サービスを十全に利用できずにいた。一部の国々の関係当局は、ロマの子供たちが差別なく教育を受けられるよう環境を整えることが出来なかった。それらの国々では、ロマの子供向けの特別教室の設置が黙認され、多くの場合、むしろそうすることが奨励された。これらの特別教室では、一般とは違う簡素化されらカリキュラムが教えられることもあった。ロマはまた、ユダヤ教徒イスラム教徒同様、憎悪犯罪の対象とされた。ロシアでは、暴力を伴う人種差別的な襲撃が懸念すべき頻度で何度も発生した。
多くの人々が、法的身分を理由として差別に直面した。これは旧ユーゴスラビアや旧ソビエト連邦などでの内紛により避難してきた人々が含まれる。住民登録や住居権との関係で、これらの人々に認められた権利は限定的であり、あるいは全く権利が認められていないこともあった。

ヨーロッパ─人種主義と差別
世界の人権2008

アムネスティ:ロマの人びと
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=3308
・ロマ問題に関するヨーロッパ評議会
http://www.coe.int/T/E/Social_Cohesion/Roma_Gypsies/
・ヨーロッパ・ロマ人権センター
http://errc.org
・反差別国際運動(IMADR) 国際人権NGO
http://www.imadr.org/japan/minority/roma/
・ロマとルーマニア
http://gipsy-romania.seesaa.net/
http://pweb.sophia.ac.jp/shimokawa/zemi/2005doc/makiful.pdf
ホロコースト研究におけるロマ民族の位置づけ―犠牲者間の差異をめぐる考察―
http://www.hokudai.ac.jp/imcts/imc-j/imc-j-4/chiba.pdf
ホロコースト研究における犠牲者の「追悼される権利」の前景化について―「記憶の戦い」をめぐる議論を中心に―
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/34580/1/P135-154%E5%8D%83%E8%91%89.pdf
・シンティ・ロマの戦後補償─三つの要因の視点から─
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/8287/1/g_housei_p095.pdf
・ジプシーを追いかけて−アラブ世界のジプシー
http://ethno-mania.at.webry.info/200603/article_6.html
・排斥されるロマの人々
http://ima-ikiteiruhushigi.cocolog-nifty.com/gendaisekai/2008/06/post_2a5c.html
・『「ロマ」を知っていますか―「ロマ/ジプシー」苦難の歩みをこえて』IMADR‐JCブックレット
・『ジプシー差別の歴史と構造―パーリア・シンドローム』 イアン・ハンコック

「パーリア」とはどこにも所属できない状態のことを指す
・『立ったまま埋めてくれ―ジプシーの旅と暮らし』イザベル・フォンセーカ
・『ジプシーの歴史 東欧・ロシアのロマ民族』デーヴィッド・クローウェ
・『ジプシーの来た道―原郷のインド・アルメニア』市川捷護


ロシア・ロマの小屋 Joakim Eskildsen

In his foreword to the extensive book that accompanies the exhibition Günther Grass writes:

„More than any other people, with the exception of the Jews, the Roma have been subjected to constant persecution, discrimination, and systematic annihilation. It is an injustice still in evidence today. The Roma, and with them the Sinti people, are now only gradually receiving the recognition due them as victims of the criminal racial policies of the Nazi era. While the genocide of the Jews has become inscribed in our minds, admittedly in the face of some resistance, the annihilation of several hundreds of thousands in other words of countless „worthless Gypsies“ in the extermination camps of Auschwitz-Birkenau, Sobibor, Treblinka and in many other locations of terror is mentioned at best incidentally.
This community has been looking, if not for a home, then at least for a temporary place of residence in Europe for as long as 600 years, and more, but as soon as its members attempt to find a resting place on our neighborhood the „gypsy life“ starts to lose its attractions. When this happens, the „travelers“ should start looking for somewhere else to stay. If necessary, we invoke the kind of other foreigners that we just about tolerate and they, in turn, immediately start to lose their patience at the sight of Gypsies.
The Roma people exist somewhere beyond all provident care, only seldom does anybody speak up for them, and they cannot think of any nation that would be prepared to give them a voice that everybody would listen to.
This people has an estimated 20 million members, the single largest minority in Europe and one that none the less does not receive sufficient recognition. Where does this inexact figure come from? Nowadays we all want to know everything exactly, to know everything to the exact fraction of the decimal point. We have replaced our morning and evening prayers with statistics and stock exchange listings, we are professional number crunchers, yet, as soon as we want to know more precisely about this so numerous people, we are forced to rely on rough estimates. There are reasons for this imprecision. Whether it be here in Germany, in Lithuania, in the Czech Republic, or Slovakiaindeed throughout Europe – many Roma simply do not dare to reveal their backgrounds. Experience has taught them of the injuries they and their families can be subjected to once they have been identified – which means registered.
Only some rudiments of their language, Romani, have been recorded in written form.
And there are reasons for this reticence, too: a purely oral mother-tongue tradition has greater chances of survival in a consistently hostile environment. What cannot be recorded in writing evades its persecutors more easily. (…)“

Joakim Eskildsen『The Roma Journeys
http://www.fotomuseum.ch/fileadmin/fmw/pdf/Presse/Eskildsen/JE_pressetext_e_2_.pdf
プレス画像>http://www.joakimeskildsen.com/default.asp?Action=Menu&Item=113

*1:日本人の偏見ステレオタイプないかにも文言を発掘しようとすると、石原慎太郎程「使い手」ある発話者がいないとゆー現状は、なんともはや。。。多分石原は映画などメディアで表象されている「流浪の民」的ステレオタイプを踏襲しているのであろうが。

「ホロコースト」はユダヤだけ示す、果たしてそれが正しい歴史定説か?

ネットの一部で「ホロコーストユダヤ唯一性」を主張して、ナチの「最終解決」撲滅作戦を、ユダヤとその他(ロマ、ポーランド人、犯罪者、障害者、同性愛者)とは区別すべきだとする説がある。端的に言えば、ホロコーストに関して、ロマその他を含めないでユダヤについて問題にしたいというのなら、「唯一無二性」などという絶対的・本質的な意味を持って、関連方面に優越をつけかねない言葉に固執して軋轢を生み出すことを避けようとアクロバットな為にする論理を展開するより、単に「固有性」または「特性・特徴」で、済む話なのではないか?別に関心がそこにない人にロマを語れと言う訳ではない。がしかし、ナチ「最終解決」問題対象者として、ユダヤ以外を認識しているのならば、もう少しセンシティヴな言い方があるだろうと申し上げている次第である。ワタクシの少ない経験であれなのかもしれないが、今まで読んだマトモだと思われる現在の各事象に十分通用している歴史学者本に於いても、ナチス/ホロコーストに関する文章で「ユダヤの唯一無二性」なんて記述には、いやそれがなんであれ、ある事象を指して「唯一性」などという表現をつかって比較・解説しているケースにも、おめにかかったことがないので、あまりの過激な表現に飛び上がったというのが、第一印象なのであるが。。。*1
そこにコメントして反論しているのであるが、もすこし根拠を示すと以下である。>id:hokusyu:20090324、id:hokusyu:20090326

ナチス人種隔離政策の中身の観点から
hokusyuさんはユダヤの唯一性として「ユダヤ教を信仰している者」を人種として迫害されたと主張している。元来「ユダヤ人とは誰か」というテーマはしばしば問題となってきた。*2「優秀なるアーリア民族」の裏返しとしての選定内容に、個々カテゴリーの区別=個別内容(個々集団の社会的関係性)はそりゃある。だから具体的に、ユダヤとかロマとか犯罪者とか特定集団として名指しするのである。
ナチが規定したユダヤ範囲は、4親等である。さて、「ロマ人とは誰か」は、ユダヤ以上にもっと曖昧である。だからか、それまでジプシーとして扱われていた者とその8親等が、その迫害対象となった。ユダヤ以上に混血が進み世俗化していたことの現れでもある。さてその他に人種として「ポーランド人」も迫害対象になっているが、それは全ポーランド人ではなく、一部のドイツ領にいて邪魔なポーランド人であった*3。その他の、犯罪者・障害者・同性愛者などはいずれも、そうみなされた当人のみである。要するに、カテゴライズ範囲が親族・一族郎党に及ぶのは、ユダヤとロマなのである。従って、人種を理由に有無をいわさず虐殺対象となったのは、ユダヤとロマといえよう。

ザモシチ、ベルリン、アウシュビッツの間の列車運行プランは、入植と追放の相互関連、選別と民族の大量殺害の関連、「人員投入」の内的論理、いわゆる積極的、消極的住民政策の計人画的、組織的統一を裏書するものである。「価値の高い者」の助成と優遇は、「価値の低い者」の周辺部への排除と見合うものであった。こうした緊張関係の中で初めて、全体主義的生物学主義は、当初はドイツ人精神病患者の殺害、やがてヨーロッパのユダヤ人とジプシーの殺害に進んで行くあの原動力を獲得したのであった。「T4作戦」はそのかぎりでホロコーストのための具体的な経験としてその基礎を作ったのであったが、それだけではなく、またその具体例でもあった。それは生物学的「排除」という思考を支配者民族の内在的生活原理そのものとして認めるものであり、それだけに容易に外に向かって、他の集団に押し付けられえたのであった。

ゲッツ・アリー

(加害者ナチスの視点を資料に機能主義的に、1939〜1942年ヴァンゼー会議「最終解決」の決定にいたるプロセスを描いた本は)戦後の西側世界が一貫してホロコーストに議論と意識を集中させ、アウシュビッツを凝視し続けていることの重要性を守りながら、しかし、それによる視野狭窄を意識されてくれる…精神病者、シンティ・ロマに始まらず、東ヨーロッパ諸民族も同じような被害者なのである。…犠牲者にある種の序列ができている事態に、アリーを読むものは懐疑と反省の芽を向けさせてくれるだろう。

解説:三島憲一
ゲッツ・アリー『最終解決―民族移動とヨーロッパのユダヤ人殺害 (叢書・ウニベルシタス)

1955年の(ドイツ)補償当局のコンメンタールでは、「ジプシー」は「国家の災難」とみなされていたため、1933年の行動は「人種的迫害」ではなく、「ジプシーの特徴(反社会的行動、犯罪、放浪)」が原因であったと述べられている。また、シンティ・ロマになされた迫害の原因を彼ら自身の「反社会的行動と見る態度は、補償当局のみならず、司法当局においても見られた。1956年、連邦通常裁判所はシンティ・ロマへの集団的迫害の開始時点についての判断を下し、1943年以降になされたシンティ・ロマへの迫害は人種的動機に由来することを認めた。しかし同時に、1943年までの迫害について人種的動機を認めない判決を下した。それゆえ1943年以前にナチスの措置により迫害を受けていた人々は、個々の事件において人種的理由による迫害であることを自ら立証せねばならず、その結果、これらの補償申請の多くが却下された。
1963年5月に連邦通常裁判所は、…シンティ・ロマになされた人種診断をナチによる迫害であると認定した。これに伴い、法手続上でも補償の申請を却下していた人々の再審査申請を認める救済措置が採られた。…しかし、このような判例変更や救済措置、法律制定にもかかわらず、ほとんどの裁判官はシンティ・ロマへの偏見に基づき、人種的理由ではなく労声門解怠や「反社会的分子」であることを理由とした迫害とする認定を行なった。そのため、多数の人々は補償法の適用を受けることができなかった。
1979年1月22日から28日まで放映された連続テレビ映画『ホロコースト』は、自らの名においてなされたおぞましい行為をドイツの人々に「情緒的に」理解させ、ナチ時代の過去に対する人々の意識を大きく変えた。また、『ホロコースト』は映画の中にシンティ・ロマの迫害を描き出すことで、シンティ・ロマの迫害をドイツの人々に意識させる影響も及ぼした。
1981年8月、連邦補償法の要件を満たすことができず補償を全く受けていない非ユダヤ人の被迫害者を対象として、連邦政府は1億マルクの資金を拠出する「非ユダヤ系被迫害者特例基金」を設置した。…しかし、「非ユダヤ系被迫害者特例基金」は、「ユダヤ系被迫害者特例基金」と比べると、補償の適用を受けにくい制度になっていた。
「過去の克服」に積極的な緑の党は、1983年の連邦議会進出ともに、これまで一般の人々の意識に上らなかった様々な「忘れられた犠牲者」に注目し、これを戦後世代が解決すべき人権問題のひとつに位置づけた。…その結果、反社会的分子とされた人々や安楽死の被害者、同性愛者の人々を対象とした「一般戦争結果法の枠内における苛酷救済給付のための指針」が政府より出されることとなった。この「忘れられた犠牲者」として、シンティ・ロマも救済を受けることとなった。…シンティ・ロマ自身の要求活動もさらに加速した。…しかし、シンティ・ロマへの補償は必ずしもスムーズに進まなかった。…補償当局を中心とした「押しとどめるカ」は未だに根強く、補償の実施はなかなか進まなかった。

ドイツの「過去の克服」のあり方を理想化して論じるには、それを「押しとどめる力」が根強く、反対にドイツの「過去の克服」のあり方を矮小化して論じるには、それを「押し進める力」やそれに有利に作用した「外的要因」は無視し得ないのである。こうした二面性を持つシンティ・ロマの戦後補償は、確かにドイツ「過去の克服」の一つの側面であり、同じく過去への取り組みを求められる我々に重要な事例として現れるのである。

宮本和弥『シンティ・ロマの戦後補償─三つの要因の視点から─』
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/8287/1/g_housei_p095.pdf

●ロマ自身のホロコーストへの現在意識
ロマ人権回復に、先行しているホロコーストに重ね合わせるのが有効だとするワタクシの意見に、hokusyuさんは区別するのが歴史専門家の定説とまで仰り、差別自体も「教科書に載ってる」ことや当方でPDFを紹介している宮本和弥の『シンティ・ロマの戦後補償』論文をひいて「保障している」と、ロマ人権回復には、制度的に十全されているかのような官僚的答弁をなされているが、国連や欧州評議会ではそれは不完全なものと、公式的に表明されている。*4
2006年1月、ドイツ・スィンティ・ロマ中央委員会とヨーロッパにおける国内スィンティ・ロマ組織は、仏・ストラスブール欧州議会にて、同評議会のバックアップを受けた『ロマとスィンティに対するホロコーストと現代ヨーロッパにおける人種主義』展示会がスタートした。これは以降EU加盟国で順次移動して開催される。人種主義と外国人排斥に関するヨーロッパ・モニタリング・ センターが2005年11月23日にブリュッセルで出した報告書によると、ロマとスィンティはほかの集団にもないほど日常的に差別を受けているということを受けて、その改善の為に開催された。彼らはその差別の原因をホロコーストの不理解にあるという。

ロマとスィンティに対する暴力と、ホロコーストの否定とには、直接的な関連性がある。このことは、ロマとスィンティが右翼の過激派による暴行・襲撃の格好のターゲットとなっている事実を際立たせる。新ナチ主義者が残忍な殺人を犯すのに躊躇をしていないことは、ぞっとするような事実や映像で実証されている。反ユダヤ主義の危険は、国際政治課題において高い優先度が与えられているのに対し、ロマとスィンティは、ホロコーストの歴史的経験にもかかわらず、これまでかなりの期間、然るべき政治の舞台で注目を受けてこなかった。
これを背景として、現在の衝突状況の解消を促進するために、展示は過去のより正しい認識を伝えることを目指している。ロマとスィンティに対するホロコースト、およびそのヨーロッパでの状況に焦点をあわせ、想像を絶する人道に対する罪をあらわにすることを主な目的としている。ユダヤ人と同様に、ロマとスィンティは国家社会主義の人種主義的イデオロギーの名のもとに、取り押さえられ、公民権を奪われ、ゲットーに閉じ込められ、そして最終的には絶滅キャンプへと強制移送された。国家社会主義者は人間に対する敬意もなく、幼児や高齢者に対しても同様の非人間的扱いをした。国家社会主義者はロマとスィンティまたはユダヤ人に生まれたというだけで、これらの人びとの集団的生存権を否定した。

反差別国際運動(IMADR)
http://www.imadr.org/japan/minority/roma/post/

また、2007年にニューヨークで同展が開催された際、彼らは潘基文国連事務総長へ、ヨーロッパおよび世界各地の同マイノリティの人権を守る取り組みを強化するよう嘆願書を提出した。

ロマとスィンティは、何世紀にもわたり、すべてのヨーロッパ諸国および世界各地でそれぞれの国の国民として生活を営んできた。われわれは、ユダヤ人と同様、「人種的に劣等」としてナチスの占領地で迫害と殺戮の標的となり、約50万人の命が奪われた。現在でも、毎日のように人種主義的攻撃にさらされ、またゲットーのような居住地区へ強制的に移住させられることがしばしば起きている。子どもたちは、マジョリティの学校の基準を大きく下回るゲットーの特別学校などで学ばされ、将来平等な権利を手にする可能性を奪われている。多くのロマとスィンティが電気、水道、下水といった基本的な生活基盤を利用できない現状は、アジア、ラテンアメリカのスラムで生活をしている何百万人の状態に匹敵し、人権擁護を国の基盤とするヨーロッパ諸国にとっては恥ずべきスキャンダルである。
国連は、人種差別撤廃条約、マイノリティ権利宣言などの重要な条約ならびに決議、その履行を促す諸機関によって、ロマとスィンティを含むマイノリティの権利の保護および促進にむけた基本的な環境の整備などを行なってきた。しかしながら、多くの地域で、ロマとスィンティの人権保護・支援プログラムは不十分なものとなっている。ロマとスィンティに関する問題を専門的に扱う国連特別代表には、同マイノリティを代表する政治家と緊密に協力し、具体的な解決策を練り上げることが望まれる。
人種差別からの保護策としては、差別に動機付けられた犯罪の効率的取り締まり・厳罰化、インターネットによる差別扇動の規制などが求められる。また、ロマとスィンティが平等な機会を得られるための重要な取り組みとして、将来的にゲットーの撤廃を視野に入れた住宅の整備、教育の場における差別撤廃、教育・雇用プログラムの構築などが挙げられる。さらに、ロマとスィンティに対する人種差別が根強く残っている原因の1つに、国家社会主義者が形成した「根無し草・放浪者」といった否定的な固定観念がある。国際機関がこのような固定観念を強めるような表現を行なわないこと、多くの国々におけるロマとスィンティの歴史的・文化的貢献を、包括的な教育政策を通じて各国のマジョリティ社会に伝えること、ロマとスィンティを一般化し、犯罪者扱いするメディアの表現を法的に規制する措置が必要である。

潘基文国連事務総長への嘆願書』
ドイツ・スィンティ・ロマ中央委員会ならびにヨーロッパにおける国内スィンティ・ロマ組織

http://www.imadr.org/japan/minority/roma/2007130/

ドイツでも極右主義者たちはマイノリティーに対して憎悪に満ちたプロパガンダを広めるため、ますますインターネットを利用している。アメリ国務省のデータによれば、ナチスの思想を堂々と掲載している「チューレ・ホームページ」のような人種差別的なホームページが今日のドイツに約800 あると言われている。ここではスィンティとロマは、窃盗や売春や麻薬の密売によってのみ生活の糧を得ている「さすらいの民」の「ツィゴイナー集団」と見なされており、それはナチスがスィンティ・ロマやユダヤ人たちの追放と絶滅を正当化するために使ってきた人種主義的スローガンと同じである。そしてホロコーストはなかったものとされ、民族虐殺の責任者たちに対してあからさまに味方につく内容が書かれている。これに対して中央委員会は責任者を司法の手によって追及できるようにするため、インターネットのプロバイダに対して全てのホームページの作者を記録するよう要求している。
私たちにとって重要な前進として期待されるのは、EUが2000年に平等化指令の中で承認した包括的な反差別法をドイツが採択することである。この中でEUはそれぞれの国のマイノリティーに属す人々が全ての生活領域において差別されることのないように加盟国に指示しており、加えて各加盟国に条項の速やかな実現のための専門的部署の創設も求めている。これによって差別の犠牲者はより訴訟を起こしやすくなり、また金銭的補償の権利を有するようにもなる。

『ドイツおよびヨーロッパにおけるスィンティ・ロマに対するマイノリティ保護』
ドイツ・スィンティ・ロマ中央委員会副委員長 ジャック・デルフェルド

http://blhrri.org/info/koza/koza_0051.htm

hokusyuさんはホロコーストユダヤの唯一性を掲げる理由に、「「意図」に着目するほうが「構造」に着目するよりも唯一無二性を強調しそうなものだが、じっさいは逆」と仰る。その際に形どられる「構造」がどんなに「公平性」に気を付けていても、主観が交じるからということなのであろう。しかしそれでは、「学問(研究史的な蓄積)」「歴史学」といったものの否定でしかない。個々がてんでばらばらなとこから繰り出される「意図」だけ羅列・ピックアップしても、歴史(分析・把握・理解)にはならない。そうはいいながらも、hokusyuさんは自説を「歴史家の定説」と、どの派の歴史家標準か示さずに普遍であるかのように権威づけ根拠を行った。無論フィンケルシュタインはまさに「意図」だらけの仕掛け人=運動家である。「意図」だらけのアクターが多数になり複雑に絡み合った時、それを整理するのが「構造」であろう。そして歴史なんてものは、大抵複数の関係アクターがいるのである。


●米国ホロコースト記念碑問題
id:hizzz:20090214#p6でサイードチョムスキーの言説の変遷をさらっているが、中東情勢の変遷で彼らユダヤ系の言説もまたその時々によって変更を余儀なくされている。だから、文献を引用するにも、どの時点での意見なのかが状況との関連性が、現代に続く問題には非常に重要となる。
フィンケルシュタイン本を介してとりあげられていた、エリー・ウィーゼルらの態度についての記述をいくつか書く。1979年カーター大統領によってホロコースト記念会議が設立されたが、ニュールンベルク裁判のときと同様に、誰ひとりとしてロマは参画されなかった。ホロコーストをエリー・ウィーゼルは「本質的にユダヤ人の事件」「ユダヤ人だけが全面的絶滅の運命にさらされた」と主張した。シーモア・シーゲル前議長は『ワシントンポスト』紙で、ジプシーがはっきり区別される民族集団を構成されるかどうか疑問をつけて、ロマ参画行動をばかばかしいと切って捨てた。その後も度重なる無視がつづいたが、国際ロマ組織やアメリカ・ロマ会議*5などの運動が実って、1986年には参画できそうな予定になっていた。ところが、大統領府任命局がロマ排除を通告し、ロマ運動関係者を唖然とさせる。その後、国際ロマ連盟代表が総会に招待され、1987年2月には『その他の犠牲者』のための会議が開催されることなった。それについてロマ人であり言語学者のイアン・ハンコックはいう「このような扱いを歓迎しなかった。─ホロコーストはただひとつである。「焼却炉の中身はわれわれの灰も混じっている」、それをいま、なぜ別々に追悼しなければならないのか?」と。

ロマとシンティがヒトラーによる最初の犠牲者だったという事実は、徐々に広く知られるようになっている。それでも、アウシュビッツで自分の父親がジプシーのカポ(ナチスが任命した囚人班長)に殴られるのをなす術もなく見守った経験をもつエリー・ウィーゼルは、ロマ追悼デーにおける演説に際してさえ、こう強調しなければならないと考えた─それにもかかわらずユダヤ人は第三帝国の「至高の犠牲者」だったと。その翌月、ノーベル平和賞を受賞したときの記念スピーチでも、彼はナチスによるユダヤ人の虐殺は「特別」であることを強調した。しかし9月16日の式典では、ウィーゼル教授は次のように述べた。
「告白するが、私はロマニのわが友人たちにたいしていくらかの罪の意識を感じている。皆さんの苦悶の声を聞くために十分なことをやってこなかったのだ。皆さんの悲しみの声をほかの人たちの聞かせるために十分なことをやってこなかった。これからは、皆さんの声をもっとよく聞くためにできるかぎりのことをするつもりだと約束したい。」

イアン・ハンコック『ジプシー差別の歴史と構造―パーリア・シンドローム

フィンケルシュタイン本は、政治シオニズム思想とがっちり結びついたナチ犯罪解釈が席捲してることで、公然とロマ排除が起こっている最中に、斥力的に書かれたものである。彼と同じくアメリカ批判が政治的魂胆として念頭にあるチョムスキーの言説も、その時の政治状況・立位置であまりにそれに筆舌を尽くしまくる為に、パレスチナ問題をテーマとしているのに、しばしば肝心のパレスチナが霞んでしまう程である。また彼らのアメリカ批判は、反米主義や反資本主義という運動左派にとっては、胸をすく願ったりの激しく強い言説であるので、とかくそれをそのまま受け取ってオウム状態になってしまう向きを見かけるが、それでは全体像が歪んでしまうということがあるので*6、注意が必要だ。

ホロコーストで「ユダヤ唯一性」を主張する弊害
ホロコースト解釈にとっては、引用したウィーゼルの最初の主張のようなホロコースト本質主義ともいえる排他的態度を増強し、ナチ人種殲滅政策=ホロコーストユダヤで、神格絶対化してしまうことである。そしてドイツ-ユダヤ/イスラエル間で完結してしまい、ホロコーストに関連する問題、その関連性・関係性の過小評価につながることである。とまれhokusyuさんが関心をおもちの「ドイツ現代史」には、このような視点がないということなのであろう。統一後ホロコーストアイデンティティの政策的定着あたりで最新となされている、2000年前後で纏められたドイツ現代史中心で限定的に定義してしまえば、そのようなことになるのであろうが…。マイノリティ問題の側面からすれば、例えば国内マジョリティ中心の政経・外交中心の現代史通史本では、殊更にアイヌ民族従軍慰安婦問題などのその差別の通史が把握できずらいのと一緒ではある。だからといって、それらが戦争犯罪/マイノリティ問題として現在進行形で尾を引いていることを加味しないのでは、あまりにも一面観すぎる現代史把握となる。例えば「日本民族」や「満州帝国」の唯一無二性*7などという語り口は、まずもって歴史修正主義者さんたちの主張でポピュラーなものであろう。戦争犯罪でいえば、「ノーモア・ヒロシマ」で世界的に通用している原爆虐殺を、「ヒロシマの唯一無二性」などといってしまったら、長崎は憤懣やるかたないであろう。長崎にとって原爆被害は長崎の唯一無二性を主張するものではなく、常にマジョリティたる広島と同等の「広島・長崎」の被害なのである。
そのように、ロマにとっては、引用した国連嘆願書&移動展示会やイアン・ハンコックが述べているとおり、「区別するな」「ユダヤと同等に扱え」である。
hokusyuさんは、コメント応答の中で、ユダヤの唯一性・ロマの唯一性をそれぞれ区別して追及すればよいという趣旨を述べているが、引用したとおり、ロマはそれでは納得しない。何故か?それは引用したアムネスティ文で触れられているとおり、ロマはロマとして区別して「分離政策」が、ヨーロッパの幾つかの国で実行されていたからである。その区別・分離の中身は、国連が認識している通り「差別」でしかなかったのである*8。そんな歴史的経過があるからこそ、ロマに対して、ホロコースト・マジョリティたるユダヤホロコーストを唯一性と言挙して、「ロマはロマで」という言葉はマイノリティにとって脅威となる。
また、パレスチナにとっても「唯一性」や「区別・分離」という言葉の実際が、今年初頭のガザ軍事進攻になるのである。そんな意味で使ったのではないとしても、「差別」というものは差別される方(=この場合ロマ)が、そうした一方的立場の場所から発せられる差異に、よりセンシティヴなのである。無論このことは、自戒を込めて確認することなのだけど。

ホロコースト研究が「唯一性の概念」を受容した背景には、二つの根拠がある。ひとつは、これまでのホロコースト研究において、「唯一性の概念」を学問の研究対象として批判する営みが生じなかった、ということである。「唯一性の概念」をめぐる議論は、ホロコーストの解釈に関する合意形成の困難さを露呈していながら、実のところそれは構造主義者、意図主義者といった人びとの間でみられた限定的な議論の断片に過ぎなかった。彼らは「唯一性の概念」を自らの立場をより有利にするために不可欠な「道具」として利用することにより、互いにその正当性を競い合った。もうひとつの理由は、「唯一性の概念」に疑問を呈する姿勢がありながら、それをどう研究に反映させていくべきかという研究者の葛藤がホロコースト研究の多元化を阻んだ、ということである。
いわゆる第二世代と呼ばれるホロコーストを直接体験していない研究者たちは、ドイツの責任問題を曖昧にしてきた第一世代の研究者たちを厳しく批判した。それだけではなく、第二世代の研究者たちは研究対象としてその意義が見出されることが少なかった非ユダヤ人犠牲者に対する配慮をも含んだ新たな研究構図を描き出すことにも意欲的であった。彼らの研究は個々の犠牲者集団の合意形成を目指していた。というのも、各々の犠牲者の記憶を一つの媒体として束ねる術を模索していくにつれ、「忘れられた犠牲者」と呼ばれる人びとの主張は、ホロコースト研究の空白を埋める重要な要素であることが浮き彫りとなっていたのである。
しかし残念ながら、第二世代による一連の試みは「忘れられた犠牲者」の存在にわずかな光を当てることができたに過ぎなかった。それどころか、彼らをユダヤ人と同等の存在として、ホロコーストの議論の場に引き入れることさえできなかった。というのも、「忘れられた犠牲者」に関する研究は当時はじまったばかりであり、ユダヤ人問題に匹敵するほどの堅固な学術的成果をもたらすことが困難だったのである。

ホロコースト評議会に代表されるような、「ユダヤ人の唯一性」に固執する人びとにとって、ロマ民族は依然として単なる「ツィゴイナー」に過ぎなかった。そればかりか、ロマ民族が比率だけで考えるとほぼユダヤ人に匹敵する割合で殺害され、ユダヤ人よりも厳しい基準で出自が調査された事実と、彼らを「人種的理由」による犠牲者として認めることは心理的に両立しがたい問題であった。ロマ民族ユダヤ人との相関関係を認めることは、ホロコーストの広義的解釈を許容し、それまでの研究構図を瓦解させる可能性をも秘めていた。

ロマ民族の議論の中では、自らの「犠牲者としての認知」と、ユダヤ人と同じ「人種的理由」による被迫害者であったことが分かちがたく結びついており、その延長線上でマイノリティとしての地位確立を要求していたことである。すなわちその真意は、ロマ民族がマイノリティであったがゆえにナチズムの犠牲となったことを世論に訴えたかったというよりはむしろ、ユダヤ人がその存在ゆえに犠牲となったのと同様、彼らもただロマ民族であったがゆえに絶滅政策の対象となったという実態が「公共の記憶」の中に位置づけられることを望んだのである。

1997年、ドイツ政府がロマ民族を国内に居住するマイノリティとして公認したのである。しかし政府の公認がナチズムの犠牲者として然るべき位置を確保する重要な転機になったとは言えず、今日まで犠牲者の位置づけをめぐる議論はその着地点が見えないままとなっている。

千葉美千子『ホロコースト研究における 「唯一性の概念」をめぐる考察−「記憶の所有権争い」の分析を中心に−』
http://www.hokudai.ac.jp/imcts/imc-j/imc-j-5/j5chiba.pdf

*1:無論歴史上の事件についてなんらかの特異性があるから固有名詞がついている。その背景を含めてた特異性が「唯一無二性」であることには違いはない。しかし、ここで問題にしていることはそれではない。

*2:現在イスラエル政府の国民基準は、母親がユダヤ信仰にあった者となっており、それが拡大解釈されて、かって祖先にユダヤ信仰があった者として、エチオピアなど多数の民族を受け入れて、実質的に多民族となっている現状は、id:hizzz:20090214で書いた通りである。建国の時に既に「バイナショナリズム」を主張する文化シオニズムと厳格な一民族国家を主張する政治シオニズムとの対立があったが、それは政治シオニズムの勝利することとなる。

*3:有能またはドイツに同化できる優秀な者と、そうでない者とを選別した。

*4:西尾幹二は、ドイツ国内の約25万人のジプシーは2%のみ生き残り戦後5千人になりその補償は1億マルクと、日本とドイツの戦犯や保障を問う文脈で度々引きあいとしてるが、これは間違い。

*5:米国にいるロマは、戦中戦後のナチ被害者のほかには、18世紀前後に奴隷として人身売買されたか、ヨーロッパ人の主人と共にした従者奴隷である。

*6:運動言説は、時には全体像を歪めても自説がクローズアップされれば目的は達成するといった「仕掛け」パフォーマンスを欲望肯定してるようなのだが。。。

*7:五族共和の汎アジアと反共政策の汎イスラームが合体して軍部が妄想拡大した、ユーラシア主義=ツラニズム(ツラン民族圏)のこと。日ユ同祖論などの同祖論で最大のもの。

*8:例えば、「身障者特別学級」問題のような構図である。マジョリティ&政策としては、健常者以上に配慮するために区別しした学級編制を組んだのだから、(履修内容もレベルの低いものになっている)そこで学ぶほうが身障者に「優しい」だろう。ところが、その「区別」は区別される側-マイノリティたる身障者にとっては、自身の障害とは健常者と同等の固有事情の一つでしかなく、それを根拠に区別されることは学習差別でしかないのである。