“Unsere Erneuerung”前説

ジャック・デリダとユルゲン・ハーバマスによるこのエッセイは、ヨーロッパ知識人たちの共同行動の一環をなすものである。イラク戦争に対する拒否によって、ヨーロッパのアイデンティティとは何か、という問いがあらためて提起された。この問いに答えるべく、ヨーロッパのジャーナリズムには現在まで、本エッセイのほかに次のものが発表されている。「ラ・レププリカ」のウンベルト・エーコ、「新チューリッヒ新聞」のアードルフ・ムシュク、「南ドイツ新聞」のリチャード・ローティ、「エル・パイス」のフェルナンド・サバテル、「ラ・スタムパ」のジアンニ・バァッティーモ。

独 Frankfurter Allgemeine Zeitung 紙 2003年5月31日掲載
http://www.kozmopolit.com/eylul03/Dosya/derridahabermasde.html
訳:瀬尾育生 雑誌『世界』2003年8月号掲載転用
(各見出しはワタクシが便宜上、勝手につけたものなので、あしからず。)

ヨーロッパを再構築するEU

二つの日付を、われわれは忘れるべきではあるまい。一つは、スペインの首相がブッシュへの忠誠を表明したことを新聞が報じ、読者を唖然とさせたあの日のことだ。スペインの首相は他のEU諸国に隠れて、戦争に乗り気になっていたヨーロッパの諸政府に対し、この忠誠表明に同調するよう誘いかけてもいたのである。もう一つの日付、2003年2月15日も同様に忘れるわけにはいかない。この日ロンドン、ローマ、マドリードバルセロナ、ベルリン、パリで大群衆のデモが、この不意打ちの政治劇に抗議した。これらの圧倒的なデモンストレーション――それは第二次世界大戦以後最大のものであったが――の同時性は、後世から見たら、ヨーロッパ的公共性の誕生を告げるシグナルとして歴史書に記されるものとなるかもしれない。
イラク戦争開戦までの鉛のように重苦しい数ヵ月の間、倫理的に許容しがたい一種の分業がおこなわれて、われわれの感情を混乱させていた。一方には絶え間ない兵力増強による大規模な戦争準備行動があり、他方には諸々の人道的援助機関のあわただしい動きがあり、それらが歯車のように正確に噛み合っていたのである。スペクタクルは大衆の目の前でおかまいなしに進行した。だがその大衆こそは――自らのあらゆる発言権を奪われて――犠牲者となりかねない存在なのだ。ヨーロッパ市民を共同で立ち上がらせたものは、疑いもなく感情の力であった。だが同時にこの戦争によってヨーロッパ人は、自らの共同の外交がすでに挫折の軌道に入ってしまったことに気づかないわけにいかなかった。国際法が何のためらいもなく蹂躙されている。国際秩序の未来についての闘争が世界中で巻き起こった。ヨーロッパにおいてもそうだった。しかしこうした議論の分裂からこうむる傷は、われわれヨーロッパ人にとってひときわ深いものであった。
すでに誰もがうすうす気づいていた断層が、この論争を契機としていっそうするどく露出してきたのである。超大国の役割について、未来の世界秩序について、国際法と国連の重要性について、いくつもの異論が表明され、そのことがこれまで潜在的だった対立をあからさまに露呈させた。一方には、大陸の国々とアングロサクソンの国々との間の裂け目があり、もう一方には、「古いヨーロッパ」と中央ヨーロッパのEU加盟希望国との間の裂け目があり、それらがともに深々と口を開けた。イギリスにおいて合衆国との特別な関係(スペシャル・リレーションシップ)はもはやいかなる意味でも自明とは言えなくなっていたのに、ダウニング・ストリートの優先順位のなかでこの関係は、あいかわらず最上位に位置していた。また中央ヨーロッパの国々は、EUに加わろうとする一方で、ようやくにして獲得したばかりの自らの国家主権をふたたび制限されることにためらいを感じていた。つまりイラク危機はたんなる触媒にすぎなかったわけである。ブリュッセル憲法会議においても対立が露わになった。EUの真の深化を求める国々と、EUによる間主権的統治を現在の方式のまま凍結してしまうか、せいぜいうわべだけ変更することにしか関心を持たないらしい国々とのあいだの対立。この対立を見ない振りして、もはやこれ以上ことを進めるわけにはいかない。
将来EU憲法ができれば、われわれはヨーロッパの外務大臣をもつことになろう。しかし各国政府が共通の政策に合意しないかぎり、新しい官職をつくったところで何になるだろう。変更された職名のもとにフィッシャーのような人が就任したとしても、ソラナ(EU共通外交・安全保障担当上級代表)と同じく無力でしかあるまい。EUにある程度の国家的諸性格を付与しようとしているのは、いまのところおそらくヨーロッパ中核をなす加盟国だけだ。ヨーロッパ「固有の利害」を定義するにあたって一致しうるのがこれらの国々だけなのだとしたら、いったい何ができるというのか?ヨーロッパを解体したくないならこれらの国々はいまこそ、「さまざまな速度からなる一つのヨーロッパ」における共通の外交・安全保障・防衛政策に着手すべく、2000年ニース会議で決議された「強化された共同作業」のメカニズムを行使せねばならない。そこから一種の吸引効果が生じ、他の加盟国――さしあたってユーロ通貨圏内の――も遠からずそれに合流するだろう。将来のヨーロッパ憲法の枠内では分離主義は許されないし、また不可能である。「先行」することは遅れたものの「排除」を意味するわけではない。先進的な中核ヨーロッパだけが分離して小ヨーロッパを称することは許されないのである。これまでもしばしばそうであったように、むしろそれは「機関車」たらねばならない。EUのうち協働をより密接なものにしようとする国々は、他ならぬ自らの利害のために各々の門戸を開き続けることだろう。あらたに加わる国々はこれらの扉を通ってそのなかにはいってくる。中核ヨーロッパが外部に向かって行動可能な存在となること、複雑な国際社会の中で軍事力だけが幅をきかすのではなく、持続的交渉・関係調整・経済的利益などの柔らかな力が有効に機能することを証明してみせること――それが早期に行われるほど、他の国々の参入もすみやかなものとなるだろう。
戦争か平和かという、愚かでもあり犠牲も大きい二者択一に向かって政治が先鋭化することは、現在の世界ではもはや条理にかなわぬものになっている。ヨーロッパは自らの存在の重みを国際性のレベルで、すなわち国際連合の枠の中で示すことによって、合衆国の覇権的な一国主義とバランスをとらなければならない。世界経済サミットにおいて、また世界貿易機関世界銀行国際通貨基金などの諸機関においてヨーロッパは、未来の世界規模の内政(ヴェルト・イネンポリティーク)のデザイン形成にむけてその影響力を行使すべきだろう。

ヨーロッパ的アイデンティティの確認

EU強化政策は現在、行政的コントロールという方法の限界に突き当たっている。共通の経済圏・通貨圏の構築過程で、これまではオフィシャルな命令が改革を先導してきた。だが、こうした駆動力はもう限界に来ている。市場競争の障害除去を加盟国に要求するだけでなく、一つの共通意志の形成を働きかけるような創造的な政策こそが必要なのだ。そのためには市民自身の動機付けと強固な意志が不可欠である。外交方針の効果的な決定のために多数決が許容されるとしても、表決で敗れた少数派が多数派と連帯してその決定に従うことが必要になる。その前提となるのが政治的な共属性の感情である。各国民は自らのナショナルなアイデンティティをいわば「建て増し」して、そこにヨーロッパ的次元を住まわせなければならない。自国民への帰属性だけに限定された国家市民的連帯性は、現在ではもはや抽象的な意味しか持っていない。将来それはさまざまな他国民を含むヨーロッパ市民の連帯性にまで拡大されなければならないのだ。

このことは「ヨーロッパ的アイデンティティ」とは何かという問いを引き寄せる。一つの政治的運命を共有しているという意識、共通の未来への説得力ある展望――それだけが、表決で敗れた少数派が多数派から離反する事態を回避することができるのである。一つのネイションに属する市民は、他のネイションの市民を「われわれの一員」とみなさなければならない――そのことが基本だ。だがこれは必須であるにもかかわらずいまだ満たされていない条件である。懐疑論者たちがこぞって同調するに違いない次のような問いが、そこから現われてくる。――政治的運命を共有してきたという意識、あらたな運命をともに作り出してゆこうという意識を「ヨーロッパ市民」のために誂えてくれるような歴史的体験、伝統、苦難のはての成果といったものが、そもそも存在するのだろうか?――と。魅力的で伝播力のある未来ヨーロッパの「ヴィジョン」は天から降ってくるわけではない。現在ではそれに不安にみちた困憊の感覚からしか生まれない。だが言いかえれば、われわれヨーロッパ人が自分自身に投げ返されているという、この苦境のなかからこそ、それが生み出されうるということなのだ。そのヴィジョンは多声的な公共性の、あらあらしい不協和音のなかで、自らを語り始めるにちがいない。これまでこの主題が一度として日程に載せられなかったとすれば、それはわれわれ知識人の怠慢のせいである。
たんなる理想についてならひとは容易に一致できる。われわれすべての念頭に浮かんでいるのは、平和で協調的なヨーロッパ、他文化に開かれた、対話能力のあるヨーロッパのイメージである。われわれが祝福するのは、20世紀後半に二つの問題について模範的な解決を見出したあのヨーロッパである。EUは今日すでに、ポスト・ナショナルな状況のなかでやがて数を増してゆくだろう「国民国家を超えた統治」の最初の形式として登場している。ヨーロッパ的福祉政体もまた、すでにながく模範としての役割をはたしてきた。それは現在国民国家のレベルでは守勢に立たされているとはいえ、これらの福祉政体が打ち立てた社会的公正性は、ボーダレスにひろがる資本主義を未来の政治がコントロールしようとする場合にも、それより後戻りすることがゆるされない基準となっている。これほどのスケールを持った二つの問題をヨーロッパが解決した以上、つづいて現れた課題――国際法にもとづく世界秩序を、これに逆らう多くの抵抗から防御しつつ、さらに先へ進めようという、あらたな課題――にどうして立ち向かえないことがあろう?

差異の承認

理想をめぐるこのような議論がもしヨーロッパじゅうに広がっているのだとすれば、当然そこにはすでに醸成された機運があって、それがすでにヨーロッパ内部でのコンセンサス形成を、いわば待ち望んでいる、ということになるはずだ。だがこれは楽観的すぎる仮定であって、一見して次の二つの事実と矛盾している。すなわち、ヨーロッパが歴史的に獲得した最も重要な成果は、まさにそれが世界大に広がってしまっていることによって、アイデンティティ形成力を失っているのではないか?他のいかなる地域にもまして、自負心の強い諸国民間の長期にわたる競合関係によって特筆される一つの地域を、いったい何が結束させるのだろうか?
というのもキリスト教と資本主義、自然科学と技術、ローマ法王ナポレオン法典、市民的都会的生活様式、民主主義と人権、国家および社会の世俗化といった歴史的成果は、すでに他のいくつもの大陸に広がっており、それゆえもはや特権的教養(プロピリウム)としての意味をもたないからである。西欧的、ユダヤキリスト教的な伝統に根づいた精神性は、たしかに独自の特徴をいくつも持っている。しかし、個人主義、合理主義、行動主義によって際立つこの精神的形姿もまた、ヨーロッパ諸国民と合衆国・カナダ・オーストラリア諸国民との共有物になっている。精神的境界線としての「西洋」は、単なるヨーロッパの空間を超えて広がってしまっているのである。
そのうえヨーロッパは、接しあい対立するいくつもの国民国家からなっている。国語・国民文学・国民歴史のなかに刻印された国民意識は、ながいあいだ爆薬として作用してきた。だがこうしたナショナリズムの破壊力への反作用として、当然ながら多くの相互調整のモデルもまた形成されてきた。そしてこの関係調整のモデルこそ、非ヨーロッパ人から見た場合、比類なき文化的多様性にどこまでも彩られた今日のヨーロッパに、一つの固有の顔を与えているのである。ヨーロッパとは、幾世紀ものあいだ都市と国との抗争、教会権力と世俗権力との抗争、信仰と知の競合、政治権力間あるいは対立する階級間の闘争によって、他のいかなる文化よりもはげしく引き裂かれてきた一つの文化なのだ。それは、異なるものたちがどのようにコミュニケートしあうか、対立するものたちがどのように協力関係にはいるか、諸々の緊張関係がどうしたら安定させられるかを、多くの苦しみのなかから学ばなければならなかった。緒々の差異を承認すること――他者をその他者性において相互に承認すること――このこともまた、われわれに共通するアイデンティティのメルクマールとなりうる。

歴史的経験と公共的アイデンティティ

福祉国家による階級対立の解決、EU枠内での国家主権の自発的制限は、こうした相互承認の動きのもっとも新しい例である。1950年からの四半世紀、ヨーロッパは鉄のカーテンのこちら側で、エリック・ホプズボームの言葉に従えば、その「黄金時代」を享受した。この頃から、われわれに共通の政治的メンテリティの特徴が、いくつか認められるようになってきた。人々はわれわれをドイツ人やフランス人と見なすよりも、むしろしばしばヨーロッパ人と見なすようになった。それも、たとえば香港においてだけではなく、テル・アヴィヴにおいてすらそうなのである。
ヨーロッパ社会において世俗化の過程が、他と比較してはるかにすみやかに進展してたというのは事実である。だからヨーロッパ市民は政治と宗教のあいだの越境行為に対し、多くの場合猜疑的である。ヨーロッパ人たちは国家の組織的指導力や制御能力に比較的大きな信頼を寄せている。他方で彼らは市場の機能に対して懐疑的である。彼らは「啓蒙の弁証法」への際立ったセンスを持っており、技術的進歩に対して、いかなるナイーブな楽観的期待も抱いていない。彼らは福祉国家による安寧の保証を評価し、また合意された取り決めを尊重する。個人に振るわれる暴力に対する寛容度は、他に比較して低い。法的取り決めにもとづく多国間の国際秩序の構築を望んでおり、この要求は、改革された国際連合の枠内での効果的な世界規模の内政(ヴェルト・イネンポリティーク)への希望と結びついている。
冷戦の影のなかで恩恵をこうむっていた頃の西ヨーロッパ人たちには、こうしたメンタリティを育むことができる状況があった。その状況は1989/90年以降崩壊した。だが2003年2月15日は、それにもかかわらずこのメンタリティそのものが、その発生条件を超えて今も生き続けていることを示した。そのことはまた、なぜ「古いヨーロッパ」が、自らと同盟関係にある超大国の強引な覇権政策を、自らに対する挑戦であると感じたのかを説明している。そしてなぜ、ヨーロッパでこんなにも多くの人々が、一方ではサダム・フセインの失脚を解放として歓迎しながら、他方ではこの一面的で先制攻撃的な侵略、混乱した不十分な根拠付けしか持たないこの侵略行為の、反国際法的な性格を拒絶したのか、ということをも説明しているのである。だがいったい、このメンタリティはどれほど強固なものなのだろうか?それは歴史的体験と伝統のなかに深く根を下ろしているのだろうか?
今日われわれの知見によれば、自然発生的であるかのような外見によって権威を得ている多くの政治的伝統が、じつは「発明」されたものなのだ。それに対し、ヨーロッパのアイデンティティなるものがあり得るとすれば、それは公共性の光のなかで生み出されるものであって、はじめから人工的な性格を持っている。とはいえ、たんに思いつきで作られたものでしかないのなら、それは恣意性という傷を持つはずだ。われわれの政治的・倫理的意志は、ヨーロッパ内部でのコンセンサス形成過程を解き明かす解釈学のなかで起動するものであって、決して恣意的なものではない。歴史的遺産として受け入れるべきものと、拒絶すべきものとを選り分けるには、遺産を書きしるした原文を異本校合によって確定すると同様の、細心の注意が必要だ。さまざまな歴史的経験は、自覚的に学び取られることこそを求めている。というのも自覚的な習得ということなしには、歴史的経験はアイデンティティ形成力を持ち得ないからである。

複数の歴史的経験と社会

自覚的に習得されることをもとめて名乗りをあげているこれら「立候補者たち」について、最後にいくつかのメモを書きとめておこう。こうしたさまざまな歴史的経験から光をあてれば、ヨーロッパの戦後メンタリティの顔立ちがいっそう鮮明に見て取れるだろうからである。近代ヨーロッパにおいて国家と教会との関係は、ピレネーの向こう側とこちら側で、アルプスの南と北で、ライン川の西と東で、それぞれに異なった展開を見せた。国家権力は世界観に関して中立であるべきだという理念は、ヨーロッパのさまざまな国々においてそのつど異なった法的形態をとった。しかし市民的社会(ツイヴィーレ・ゲゼルシャフト)の内部ならばどんなところでも、宗教はひとしく非政治的な位置を占めている。信仰のこのような社会的私有化を、別の観点から嘆かわしく思う人もいるかもしれないが、政治を支える文化にとって、それはのぞましい結果をもたらしたのである。ヨーロッパというわれわれの空間のなかでは、大統領たるものが公的な祈りによって日々の職務を開始し、自らの政治的決定の成功を神に授かった使命に結びつけてみせる、などということは想像もつかない。
市民社会(ピュルガーゼ・ゲゼルシャフト)がその後ろ盾となっていた絶対主義政府から解放されたとき、この解放はヨーロッパのすべての地域で近代行政国家の成立ないしその民主主義的な変革をともなったわけではない。だが、フランス革命の理念的な輝きはヨーロッパ全体を覆いつくした。そのことがとりわけ大きな理由となって、ヨーロッパでは政治というものが二様の姿で――自由保護の手段として、および組織化する力として――肯定的に利用されてきたのである。これに反して資本主義の導入は鋭い階級対立と結びついていた。その記憶が障害となって、市場については、政治に対するような先入見のない評価を下すことができなくなっている。政治と市場とをそれぞれ別に評価するようになれば、国家が持つ文明化し組織化する力に対するヨーロッパ人の信頼は、いっそう強められるかもしれない。国家によって「市場の機能不全」を修正することも、期待できるのである。
フランス革命に由来する政党システムは、くりかえしコピーされてきた。しかしこのシステムがイデオロギー同士の相互批判のために活用され、資本主義的近代化がもたらした社会病理現象に対して不断に政治的価値判断が加えられるようになったのは、ヨーロッパにおいてのみである。このことが市民の感覚を、進歩というものが持つさまざまなパラドックスに対して敏感なものにした。保守的な見解、リベラルな見解、社会主義的な見解が対立し合っているとき、問題になるのは次の二つの観点からする比較計量である。――既得の伝統的生活様式が解体されることによって生じる損失と、幻惑的進歩の理念がもたらすものと、どちらが大きいのか?あるいは、今日の破壊過程がその生みの苦しみを通じて明日のために約束している利益と、近代化のなかでの敗者の苦しみと、どちらが大きいのか?
ヨーロッパにおいて、長いあいだ解消されなかった階級間格差は、当事者たちによってひとつの運命のように受け取られてきたが、唯一それを回避しうるのは集団的な行動によってであった。だから労働者階級の流れのなかでも、またキリスト教社会主義の伝統的な運動のなかでも「さらなる社会的公正」をめざす連帯的な闘争倫理、扶助の平等を目指す闘争倫理が貫かれ、作業能力に応じた適正な分配を主張する倫理――極端な社会的不公正をも許容する個人主義的倫理に対抗してきたのである。

ホロコーストの確認

今日のヨーロッパには、20世紀の全体主義政治の経験とホロコースト――ナチス政権が、その被占領国の社会をもまきこんで遂行した、ヨーロッパ・ユダヤ人の迫害と絶滅――の痕跡が刻み込まれている。こうした過去についての自己批判的な議論が、政治の倫理的な土台となるものを記憶のなかに呼び戻した。人格的・身体的な不可侵性の侵害に対する感受性が高められた。欧州理事会およびEUは、死刑廃止を加盟のための条件として掲げるにいたったが、それはこのことの反映なのである。
主戦論が支配した過去は、かってヨーロッパのすべての国民を血なまぐさい抗争に巻き込んだ。相互に対抗する軍事的・精神的動員を経験した彼らは、第二次世界大戦後に、次のような結論にたどり着いた。すなわち、あらたな超国民的共働(ズープラ・ナツイオナール)の諸形式を作り出すこと。国家暴力の行使をコントロールするためには、グローバルなレベルでも、主権の行動範囲を相互的に制限することが必要だ――EU成功の歴史はヨーロッパ人たちに、このことをいっそう強く確信させた。
ヨーロッパの大国はいずれも帝国的な勢力拡大の繁栄期を体験し、次いで――われわれの文脈からはこの点のほうが重要なのだが――帝国の喪失を骨身にしみて体験しなければならなかった。この没落体験は多くの場合、植民地領土の喪失と結びついている。帝国的支配と植民地の歴史から時代が隔たるにつれて、ヨーロッパの国々は、自らに対し反省的な距離を取る機会を与えられた。こうして彼らが学び得たのは次のことだ。人々に強制され人々を根こぎにしていった近代化の暴力――その暴力の責めを負う、勝者といういかがわしい役割のなかに置かれた自分自身を、敗者の視点から認識すること。ヨーロッパ中心主義からの離脱を促進し、世界規模の内政(ヴェルト・イネンポリティーク)へのカント的な希望に力を与えたのは、ほかならぬそのことであったのかもしれない。 -了-

ジャック・デリダ、ユルゲン・ハーバマス

共同声明に対するデリダのコメント

ユルゲン・ハーバマスと私にとって、この分析――それは同時にアピールでもあるのだが―に共同で署名することは、切実な意味を持っている。過去にいくつかの論争があり、それがわれわれをたがいに遠ざけていたかもしれない。それにもかかわらず今日、ドイツとフランスの哲学者がともにその声をあげることは、必要でありかつ緊急のことであるとわれわれは思う。
このテクストは――容易に知られるとおり――ユルゲン・ハーバマスによって執筆された。私自身、可能ならば自らのテクストを書きたかったが、個人的な事情によってそうすることができなかった*1。そのかわり私は、このアピールにともに署名することを、ユルゲン・ハーバマスに申し出た。私はこの文章の主要な前提条件と観点とを共有している。すなわち、いかなるヨーロッパ中心主義をも超えた、あらたなヨーロッパの政治的責任を規定すること。国際法とその諸機関、とりわけ国連が持つ意味の再確認と、その有効な再編への呼びかけ。さらに、国家権力分散のためのあらたなアイデアとあらたな実践、などである。それらは、字義通りとはいえなくとも、精神において、カントの伝統に連なるものだ。
つけくわえれば、ユルゲン・ハーバマスのこの発言は、さいきん私が自らの著書『ならず者――理性についての二つの試論』(ガリレー社2002年)*2において展開した考察と、多くの点で重なり合っている。ほどなく合衆国では、ユルゲン・ハーバマスと私の共書による一冊の本が刊行されるが*3、この本は2002年9月11日の後にわれわれが、ニューヨークでそれぞれに行った二つの対話を収めている。議論の出発点、論証過程におけるわれわれの相違は歴然としている。だが、それにもかかわらず、国際法上の諸機関の未来に関して、ヨーロッパに与えられたあらたな議題に関して、この本のなかでもわれわれの見解は重なり合っているのである。

ジャック・デリダ

・『過ぎ去ろうとしない過去―ナチズムとドイツ歴史家論争』ユルゲン・ハーバーマス
ツァイトゥング紙に発表されたエルンスト・ノルテによる論文「過ぎ去ろうとしない過去」に対してハーバーマスが批判したことに端を発する独歴史論争
・「信仰と知----一つの始まり」2001年10月14日講演 ユルゲン・ハーバーマス
http://72.14.235.132/search?q=cache:BqvdN4qdAHAJ:asyura.com/sora/war5/msg/659.html+%E3%83%A6%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%B3+%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%80%80%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&client=firefox
・「希望のヨーロッパ」2004年5月8日講演 ジャック・デリダ
http://www.diplo.jp/articles04/0411.html
ハーバーマスデリダのヨーロッパ 三島憲一
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/6649/1/72448_362.pdf
憲法関連:世界への束縛 id:hizzz:20070222

*1:デリダは2004年10月8日に亡くなっているので、この頃は病床にあったと思われる。

*2:『ならず者たち』みすず書房より今春刊行予定 http://www.bk1.jp/product/03000089

*3:テロルの時代と哲学の使命』ジョヴァンナ・ボッラドリ

イスラエルのガザ侵攻関連

なにもデリダリアンを自称している1国の文芸者&フォロアーの歴史アプローチだけではなく、激化する一方のこの現在進行形の惨劇に接続してることが↑声明文の転載動機でもあるので、やっぱり書いておくことにする。
2008年12月27日パレスチナ自治区ガザにイスラエル軍が大規模空爆開始。2日夜シリア在住イスラム原理主義組織ハマス指導者マシャルがテレビ演説し、ハマスが支配する自治区ガザにイスラエル軍が地上侵攻の構えを示していることに対し「われわれは準備を整えており、勝利を確信している」と牽制したが、2009年1月3日地上侵攻開始し陸海空軍で地区を包囲攻撃をし1日余りで死者500人超と伝えられる。
4日イスラエル・ペレス大統領は、米ABCテレビのインタビューで、「ハマスが攻撃を続けるのに、われわれが一方的に停戦を宣言するつもりはない」と述べ、現時点での停戦を拒否。デヒテル警察相は毎日新聞との会見でガザ地区を支配するハマスが「イランを利し、パレスチナ、アラブ、世界の利益を損なっている」「イスラエル領には1日あたり約50発のロケット弾が撃ち込まれており、多くはガザに密輸された中国製かイラン製だ」と指摘。作戦終結には(1)ロケット弾攻撃の全面停止、(2)エジプトからガザへの武器密輸の阻止、の2大目標の達成が必要だと述べた。ガザ停戦を求める国際世論が高まっているが、警察相は「使命は自国民の安全を守ることだ」と強調し、ハマスのロケット弾攻撃が完全にやむまで軍事作戦を継続する方針を強調した。また3日夜にバラク防相が、ハマスに呼応しレバノンイスラムシーア派組織ヒズボライスラエルを越境攻撃する恐れがあるとして、北部国境付近の警戒を強化したと声明をだすなど臨戦態勢を強化しつづけている。2月に総選挙を控えたイスラエルは、ここでハマスに徹底的に打撃を与えることで国民の支持をとりつけようとし、一方の強硬派ハマスも又イスラエルの横暴に対して徹底抗戦して持ちこたえることで、揺らぐパレスチナの覇権を確かなものにしようという動機が、双方引かないこの背景にあるものと複数メディアでは推測されている。
国連・潘基文事務総長は29日国連本部で緊急記者会見し、空爆が続く現状を「容認できない」と指摘、イスラエル軍ハマスの双方に軍事行動の即時停止を要求した。30日国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチは、パレスチナ自治区ガザを支配するハマスや他のパレスチナ武装組織に対し「民間人と軍事目標を区別せずにイスラエルの民間人居住区をロケット弾で攻撃しており、国際法に違反している」とハマス側の攻撃を「決して正当化できない」とする一方、イスラエル軍のガザ空爆には「民間人犠牲者を出す不法な攻撃に思える」と指弾、燃料や医薬品を含む生活用品や市民のガザ往来をイスラエルが厳しく規制している点も「ハマス体制の一翼を担っているという理由だけでガザの個人や施設を標的にすべきではない」「戦争法規違反」と「深刻な懸念」を表明、イスラエルハマスの双方に、民間人犠牲者を出さないよう要求する声明を発表。2日エルサレムに駐在する国連ロバート・セリー中東和平特別調整官は、イスラエル軍空爆でガザの「インフラの大部分が破壊された」と指摘、約150万人が深刻な食料や燃料不足に直面しており「人道上、即時停戦は死活問題になっている」と述べた。国連安保理が緊急会議を開いたが、即時停戦要請に米が反対して議長声明出せずじまい。
4日米ブッシュ大統領は「最近の暴力はハマスによって引き起こされた」とハマス側に責任があると強調する一方で、ガザへの武器密輸を防ぐ国際的監視制度を導入した停戦の実現に向けて外交努力を強化する意向も表明した。オバマ次期大統領は、「米国の大統領は1人のみである」と沈黙。
イスラエルに停戦案を提案するなどして積極外交を展開する仏サルコジ大統領は、調停を探り急遽5〜6日イスラエル訪問する。
3日エジプト治安部隊が、ガザと隣接する北東部ラファの住民に対して批難命令を発令。ガザ地上侵攻に先立つ集中攻撃が隣接地帯にあった為である。
4日イラン革命防衛隊のバゲルザデ司令官は、イスラエルを支援する欧米諸国にイスラム諸国からの原油輸出削減を検討するべきだと発言したと、国営イラン通信が伝えた。
日本政府は3日に麻生首相が、パレスチナ自治政府アッバス議長と電話協議し停戦努力を要請。併せてガザ地区救済のため総額1000万ドル(約9億円)規模の人道支援を行う考えを表明している。

イスラエルによるガザへの攻撃の中止を求める緊急アピール 世界平和7人委員会
http://worldpeace7.jp/modules/pico/index.php?content_id=27
・ガザ全面攻撃は6ヶ月前から準備されていた ナブルス通信 「パレスチナ・ナビ」 編集員 P-navi info
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200901030344.htm
・国連特別報告者、フォーク教授のステートメント tnfuk [today's news from uk+]
翻訳:http://nofrills.seesaa.net/article/112014475.html
原文:http://www.zmag.org/znet/viewArticle/20097
・指導者は嘘をつき、市民は死に、歴史の教訓は無視される 英「インディペンデント」ロバート・フィスク
翻訳:http://nofrills.seesaa.net/article/112048418.html
原文:http://www.belfasttelegraph.co.uk/opinion/columnists/robert-fisk/robert-fisk-leaders-lie-civilians-die-and-lessons-of-history-are-ignored-14122005.html
・イラン・パペから学ぶ歴史認識と多文化共生 早尾貴紀
http://palestine-heiwa.org/doc/2007/pappe.html
ガザ地区に関する資料集 パレスチナ情報センター
http://palestine-heiwa.org/feature/about_gaza/
・日本語で読む中東メディア
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/news_j.html