ひとを縛りつける、貧困なるもの

貧困は人間の自由を制限し、人の尊厳を奪う。1993年世界人権会議で採択されたウイーン宣言は「極度の貧困と社会的疎外が人間の尊厳の侵害となる」と断言してる。>『NGOが創る世界の人権―ウィーン宣言の使い方』世界人権会議NGO連絡会
てなことで貧困と人権の関係について、id:hizzz:20090111の補講(…ってのが最近多いなぁ)

「貧困」の定義

国連開発計画(UNDP)の『UNDP人間開発報告書〈1997〉貧困と人間開発』では、「貧困とは、人がすることができる、またはなることができる価値あるものを剥奪された状態」と定義している。単なる(金銭)所得不足だけでなく、もっと広義のさまざまな面に渡る剥奪状態を考慮している。
またここでは「人間貧困」という特別な概念が提示されているが、これは所得不足での狭義の貧困と区別する、広義概念としてのUNDP造語である。元々「人間開発」をかかげるこの報告書シリーズ全体を覆う概念は、すべての人間にとっての重要な能力を拡大することに重点をおいたものである。健康で人間らしい生活水準や尊厳や自尊心といった、こうした基本的能力の(阻害を含んだ)何らかの要因による不足で、他の活動選択肢が阻まれ、先のない単一状況へと追い込まれることが貧困を招く・貧困から抜け出せない重大要因であるとしている。
その「貧困を招く」「貧困から抜け出せない」システムを改善し、「健康で人間らしい生活水準や尊厳や自尊心」といった人権の保障に務める大きな公的機関が、その地域民を有権者とした行政府(自治体・国家)であり、国家はその役割=人権に対しては最優先の説明責任があるとする。

国家の法的な説明責任を評価するということは、国が資金の節約、歴史的背景、自然条件を考慮に入れながら、人権を尊重、保護、実現しているかを問うことである。
【人権の尊重】
国民の個人の権利の追及を左右するような行動を控えること。たとえば、拷問や恣意的逮捕、非合法的な強制立ち退き、保健医療から貧困者を締め出す高額な医療費の導入など。
【人権の保護】
他の行為主体による侵害を防ぐこと。具体例としては、民間企業の雇用者に基本的な労働基準を守らせる、メディアの独占資本を防ぐ、親が自分の子供を就学させないことを防ぐなど。
【人権の実現】
立法、予算、司法、その他の措置を講じること。たとえば、同一労働同一賃金を義務づける法律を整備する、最もひどい剥奪状況にある地域への予算配分を増やすなど。

上記を踏まえての人権開発政策には、下の三つの重要優先事項があるとしている。

●貧しい人々に力をつけ、社会的、経済的、文化的権利を主張するようにするには、言論、結社、参加の自由といった市民的、政治的自由を推進する必要がある。
●国家の人権に対する義務は、最も権利を剥奪されている人々に経済的、社会的、文化的権利を保障するとともに、意志決定への参加を確保するために、最も効果的な政策及び政策立案の諸手続きを実施することである。
●経済的資源を人権促進のために投資しなければならない。

人権の義務と権利

過去のイラク人質騒動から昨今の「派遣村」ホームレス差別まで、権利侵害された者や支援者が「人権保護」を行政府に要求する動きは、世間・マスメディア&ネットの一部ではとかく被保護者=迷惑者として「保護に値する人格・資質」=義務履歴を厳格に質され、少しでも言動経歴に「問題有り」と見るや否や、人格批判を伴う周囲を含めた揶揄〜バッシングにさらされるような、明らかに度を超えたプライベート詮索・締付けが加熱するセカンド人権侵害が幾つか見られる。個人権の尊重・公的保護の度合と個人格資質&公的義務度合は、果たしてそんなにバーター「自己責任」なのもので成り立つであろうか?果たして「義務」をより詰問されねばならないのは、個人か機関・政府か?
日本政府も批准している国際的な各人権条約に加え、日本国憲法でも「第11条:国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」であって、「人権の享有」を果たすべく配慮「義務」は、個々の国民よりも先に立法府たる行政府にある。従って、既成制度が上手く機能していないのなら、その行政府の長は適切に動くよう差配せねばならぬし、既成制度の欠陥でどうにも動かないのなら、該当制度改正または新制度をつくるのが立法府と政治家の「義務」責任である。これはなにも日本国にかぎった仕儀ではなく、民主主義憲法を持った各国での、個人と機関・政府との権利・義務関係は、大抵そのように法解釈されている。
このような人権の権利と義務の関係を、上にあげた「人権」と「人間開発」の二つの視点を使って『UNDP人間開発報告書〈2000〉人権と人間開発(日本語版)』では、「人権は、対象となる人々が、その権利が保証する自由や制度を確実に利用できるときに実現する」として、以下のように考察している。(例によって、↓以下「■タイトル」はワタクシが便宜上つけたもの)

義務要求の無視は、機関・政府の重大な道徳的政治的怠慢

・人権にともなう義務の特質
人権にともなう義務はどのような形をとるべきであろうか。それらは誰に適用されるのか。どの程度の強制であるべきか。権利、より厳密には法的権利に関する幾多の著作では、権利はそれを確実に保障する特定の個人または機関に、必然的に課される厳密に定められた義務と組み合わされていなければ意味をなさないものであるとしている。それゆえ、ある事項に対する個人の権利とは、他者(または他機関)がその項目を当該個人に提供する義務をつねにともなわなければならない。これは18世紀の偉大なる哲学者であるイマニュエル・カントが「完全な義務」と呼んだものに一致する。それは権利を、特定の主体が担うあらかじめ厳密に定められた義務と、完全かつ緊密に結びつけている(形の上では、倫理体系における完全な義務はむしろ法的義務に近い)。対照的に、やはりカントが探究した概念である不完全な義務とは、助力する側の一般的かつ強制的ではない義務をいう。これははるかに緩やかなシステムである(これについてはアマルティア・センが1999年『Consequential Evaluation and Practical Reason』=「帰結的評価と実践理性」*1で解説している)。というのも不完全な義務はどのようにそれが遂行され、また、どの程度その義務に強制力があるかが、依然未解決であるからである。それでもなお、不完全な義務に対する要求を無視することは、重大な道徳的または政治的な怠慢でもある。
完全な義務という形での、権利と義務の厳格な結びつきを主張する人々の典型的な傾向として、明確に定義され不可避的な義務を負う特定の機関を明示せずに、ある権利の実現を保証することが「権利」という言辞を弄して説明されることに不寛容である。これらの権利を実現する機関と、その明確な義務を用いることに、彼らが多くの場合非常に批判的であることは驚くにはあたらない。そして人権を要求することは、このような考え方に従えば「いいかげんな話」のように映りがちである。
しかし、こうした要求はいい加減な話ではない。実際、もしこうした見方を完全に受け入れなければならないとすれば、人間開発に関する研究は、分析上、人権アプローチから切り離す必要があるだろう。たとえ、人権という言葉のもつ修辞的、宣伝的な価値が、解説や「意識向上」という観点からはただちに容認されるとしてもである。しかし、ある取組の本質から言葉の使い方を分けることは、当初から、明確な主張には不釣り合いな感動的な言葉や言いまわしを使うより、整然とした概念と厳格な論証に立脚してきた人間開発の文献の伝統には、まったく反するものである。

*1:アマルティア・セン教授とのワークショップ』学術振興会アマルティア・セン特別招聘事業関連資料集
センは国連で「人間の安全保障委員会」の共同議長を緒方貞子と共に務めた。

他者・社会的仕組みに対し、人々は要求権利をもつ

・法的権利と人権
権利と義務の関係は、非常に重要な問題としてとらえる必要がある。すでに、権利と義務には何らかの形での結びつきが必要であるとの議論が展開されてきたが、なぜ、権利は特定の機関に厳密に適用されるべくあらかじめ規定された義務と正確に対になっていなければならないと主張するのだろうか。こうした厳密な形での権利と義務の関係の強調は、法の帝国(empire of law)の単なる副作用であり、あらゆる権利の行使を、倫理的なものであれ政治的なものであれ、究極的には、唯一法的権利に適用される概念と発想に帰結させてしまうといえよう。
この厳密な見解はジェレミーベンサムの「権利の宣言は義務の宣言がなければ一方に偏った行為であるに過ぎない」という主張に一致する。これはまた「“自然権”の倫理的主張は“ナンセンス”(おそらく意図的に大げさにしたナンセンス)である」というベンセムの説にも合致する。この見方はベンサムや他の多くの学者が、本質的な法的概念の適切な使用であるとしている以上の権利について考えることは、いかなる法律が施行されているか否かにかかわらず、「人々は他人や社会的仕組みに対して要求する権利をもつ」という基本的な考え方に反する。実際、この考え方は世界人権宣言第一条にはっきりと表明された、市民共同体と連帯に対する誓約である。この条項は、何人も他者に危害を加えないこと、他者を助けるということという二つの義務を負うとの考え方を推し進めている。宣言は、法律の如何にかかわらず個人は人間であるが故に一定の権利をもつのであり、市民としての身分や自らの国における法的現実にかかわる偶然の事実に左右されるわけではない、との見地に立って、不当な法律と慣習からの保護を求めている。人権は、何人や集団としての機関がとる行動や社会的仕組みの意図に対する、倫理的な要求である。人権は、対象となる人々が、その権利が保証する自由や制度(適切な保険医療、言論の自由)を確実に利用できるときに実現する。多くの場合、法的権利の確立は人権の実現を促進するうえで最良の方法であろう。しかしながら、法的権利は人権と混同されるべきではなく、また、法的権利だけで人権が実現できると考えるべきではない。
これは実際、『人間の権利』を著したトマス・ペインや『女性の権利の擁護―政治および道徳問題の批判をこめて』の著者であるメアリー・ウルストンクラフト(両著作とも1792年)等の一般政治理論学者や、さらにさかのぼって社会契約説の流れに属するジョン・ロックジャン・ジャック・ルソーなどが訴えた権利に対するアプローチである。彼らは、すべての人は、制度上の仕組みや他者の行為に制約を加える社会制度の成立に先んじて、権利が与えられていると主張している。権利についての議論は法的要求の限度を超えることはできないという主張は、社会の中で施行されてきた厳格な法律には依存しないという考え、つまり社会生活における連帯や公平の意識を十分に評価していない。

明確な権利実現義務の遂行を、特定関係機関に要求する

・人権と不完全な義務
しかし、完全な義務という形で、権利と義務の厳密な結びつきを主張するのには、もう一つ別の理論的根拠がある。権利の実現を保証する義務が存在しないのであれば、われわれはどのようにして実際に権利が実現され得ることを確信できるのかという問いかけが可能である。この議論は、いかなる負の権利も、それに対応した権利を実現させる特定の機関の明確な義務がなければ、有効ではないと主張するためのものである。
完全な義務の遂行が権利の実現に多大な貢献をするであろうという推論は、確かにもっともらしい。しかし、なぜ、実現しない権利は存在しなくてはならないのか。「これらの人々にはかくかくの権利があるのに、なんとそれらの権利は実現されてはいない」と慨嘆することに矛盾はない。アマルティア・センが論じてきたように権利の実現の問題は、それが存在するか否かという問題とははっきり区別されねばならない。権利が実現されていないことから短縮的に権利それ自体の存在、あるいは妥当性の否定にまで至る必要はない。権利が実現されていないのは、まさに、義務を果たすべき者がその遂行を怠るがためであることが多い。
法律的な議論においては、多くの場合、人権は、権利、権力または特権をもっている者達に利益をもたらすものとして支持されている。しかし、すべての人にとって普遍的で欠点のない人権の実現が非常に困難であったとしても、こうした権利を明確に表明することは、それを擁護している非常に多くの人々からの支持を結集することを促す。たとえある特定の権利の実現を託されている特定の個人や機関がない場合でも、不完全な義務を明確に表明することは、規範の重要性を主張するとともに、他人の責任ある行動を要求することになる。

社会的規範・非公式慣習ジェンダー差別への責務

たとえば、女性には性差別から解放される人権があるということを、法律と社会的仕組みによってその人権が保護されているかどうかという点から切り離してジェンダーの立場から議論することは可能である。ジェンダー差別は、単に個人がある特定の女性に対する完全な義務に違反しているという犯罪ではない。それは、あらゆる社会の規範や制度に根を張る不正である。この不正は、女性を差別している法律や、その他の社会的規範および非公式な慣習の中に表れている。
女性の人権は、女性に社会的、法的、制度的な改革を通して、男性だけに認められている参政権やその他数多くの慣習に終止符を打つことを要求する権利を与えている。この権利に対する義務は、特定の者に容易に割り当てることはできない。なぜならこうした不当な慣習の改革は、集団全体に課された責務であるからである。とはいえ、個々の人も当然ながら、この権利に関する不完全な義務を負っている。そして、この権利を明確に語ることは、規範的にきわめて重要な何かを示すことにある。

※この「ジェンダー差別」には、生物学的女性以外の様々なセクシュアルマイノリティも含まれる。

実現に向けて少しでも努力するよう働きかける

たとえ、ある政府が、今ただちにすべての国民に特定の権利を保障するのに必要な資金(または、資金を集めることを可能にする方策)をもっていない場合でも、政府が、その実現に向けて努力するよう働きかけることは必要不可欠である。とはいえ、問題の権利をある程度まで実現した功績は、それでも認められる。このことがこれらの人権に注意を向け、その実現の推進に役立つ。また、人間開発の成否を決める過程への理解を豊かにすることもできる。人権と人間開発の二つの視点を組み合わせることで、一方のみでは決して得られないものがもたらされるのである。

相違に関する神話を一掃する

市民的、政治的権利と、経済的、社会的、文化的権利はしばしば対比され、そしてこれらの評価に対して非常に異なった取組みをすることを正当化するために利用される。しかしこうした対比の多くは神話に過ぎないとして、報告書は4つの論点を挙げる。

【神話1】:市民的、政治的権利はすべて消極的権利であり、経済的、社会的権利はすべて積極的権利である。
そうではない。これら二つの種類の権利を尊重し、保護し、実現するための積極的と消極的な義務が伴うのである。公正な裁判権の確保には、裁判官の独立を保つために十分な訓練と給与を提供する過程を含んでいる。住居権の確保には、強制立ち退きを避け、人々の住居の利用を妨げないことを含んでいる。
【神話2】:市民的、政治的権利はただちに実現されるが、経済的、社会的、文化的権利は除々に実現される。
そうではない。拷問行為はただちにやめされなければならないが、警官を訓練し、囚人監視制度を確立し、提訴された事件を調査することにより、二度と拷問が行われないようにするためには、時間と資金を必要とする国もある。これに対して、中等教育への就学率を上げることは財源次第であることもよくあるが、同時に教育において性別、宗教、人種によって差別している法律もただちに撤廃しなければならない。
【神話3】:市民的、政治的権利はすべて無料であるが、経済的、社会的、文化的権利はすべて財源を必要とする。
そうではない。自由で公正な選挙を実施するには費用がかかるかもしれない。しかし、単に住宅や保健に関する差別的法律を撤廃するだけなら費用はかからない。
【神話4】:市民的、政治的権利の指標はすべて質的表現によるが、経済的、社会的、文化的権利の指標はすべて数量的な統計で表わされる。
そうではない。統計は拷問の程度、裁判所内の状態、政治的参加を測定するために重要である。質的表現は、たとえば借家人の権利を保護する法律の適切性を測定するのに有益であるかもしれない。

こうした神話を一掃してみると、市民的、文化的、経済的、政治的、社会的権利にはその根底に類似点のあることは明らかであり、指標や指数を設定するための共通の手法が必要となる。

人権と人間開発概念が目指すところ

人権と人間開発は、すべての人々に自由と権利と尊厳を保障するという共通のビジョンと目的をもっている。人権の課題と開発の課題は、冷戦によって分断され、平行線をたどってきた。今日この二つの課題の異なる戦略と伝統が歩み寄ることで、人間の自由獲得の戦いに新たな力を与えることができる。『人間開発報告書』は、人権を開発の本質的な一部とするとともに、開発を人権実現の手段であるとしている。本書は、人権が説明責任と社会正義の原則を人間開発の過程にどのようにもたらすかを示すものである。
20世紀における人権の発展は、めざましいものだった。しかし、重大な人権侵害は、あからさまな形で、あるいはひそかに執拗に続いている。本報告書は21世紀に向けた新しい人権課題を模索するとともに、社会正義を実現する政治経済的ガバナンスの大胆で新しい取組を提言する。広がりつつある地球規模の貧困格差を是正し、得に困難な状況にある人々や国を支援するために、次のようないっそう協力な国際行動が求められている。

少数民族の保護、権力の分立および公的機関の説明責任の確保を通じて、あらゆる人権を実現するための最適な政治形態として包括的民主政治を推進する。
●開発の目標としてのみならず、人権実現の中枢課題として、貧困撲滅を推進する。
●政府を対象とした説明責任モデルを、企業、国際金融機関、国際機関を含む非政府機関の義務にまで拡大する。
●人権実現に向け、説明責任の文化を築くために統計を活用し、不信感を払拭し、政治と行動の変革を推進する。

すべての国のすべての人々にすべての権利を実現するためには、すべての社会の中心的担い手が行動をもって示し、責任をもって取り組むことが必要である。2000年人間開発報告書は、人権闘争の軌跡をたどりながら、経済的、政治的既得権益に立ち向かうことによって、21世紀は人権は前進されるだろうと結んでいる。

客観的考察力の貧困によって引き起こされてる人権侵害

なんだって「人権」などという大上段の概念を今更、このようにくどくどと記しているのかといえば、政治家・マスメディアなども含めて、スキャンダル・スペクタクルを主眼とした言を左右にした感情的煽動なお遊びがすぎて、問題の本質の矮小化・掛け替えという重大事態に、きっちりとした考察・判断→腰を据えた対処・観察検証がなされなさすぎなまま、世間挙げての問題感情消費→何の改善無状態に陥る一方で事態は益々悪化していることはなはだしいと考えたからだ。
ちよっと前に沸き上がった「国籍法改正反対」説に見られるように、「市民的、文化的、経済的、政治的、社会的権利」といった観点からではなしに、人権より既得秩序を重視する「国籍不正取得」というかなりアクロバットな局例に針小棒大的執着することによって既存「国籍法」そのものの正統性を全面主張する言動に引きずられる、疑似科学陰謀論慰安婦問題等の歴史修正主義問題にみられるような自説に都合の良い「狭義の前提」を重点として論調創作するロジック、小が大を兼ねる・一時が万事的ミクロな恣意的判断は、国籍取得という形の対象認知による包括的民主主義の重層的実現という基本人権そのものを、裁量者の恣意的理由づけでもって国家が人権保障を拒否することに加担してるに他ならない。
度々拙はてダでも指摘しているように、「貧困」問題を主眼とした公的データ採取そのもが欠如したまま、たまたま目についた表に現れた1現象をあらかじめ関心嗜好している「個々の事情」斟酌によって事象断片化した上で全体印象批評してしまう、客観的包括的傍証・多視点検証をオミットした一方的な「共感/反感」、半径数メートルの自己エリアで判断し表明・感情増幅される「我思う故に思ったこと正当なり」的自己経験主体主義(決断主義)的言説の跋扈やそれへの忖度同調強要によるセクト滞留化、「財政健全化」一本槍で続々削減され利用制限が狭められた様々な社会保障や、フォローなき契約切れ・雇い止めや男女差別やそれを告発する手続き等の旧来の慣習を踏襲する社会の中核的既得権益階層への波を立てる者の「自己責任」神話正当化によって、行政府・企業等の制度整備義務の施行&説明責任の怠慢の隠蔽と共に、人権侵害の結果としての「貧困」は自他認知を得られずに営々隠蔽され放置されてきたと言えよう。>知らしむべしよらしむべからず

貧困を誘発した労働関連リンク集

●労働関連の政策・調査
派遣労働者数384万人前年比20%増 07年度集計 厚労省
平均賃金(8時間換算)は「一般労働者派遣事業」9,534円(前年度比9.8%減)、「特定労働者派遣事業」1万3,044円(同7.9%減)。
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/12/h1226-3.html
不本意非正規労働者数400万人超と推計 みずほ総合研究所
非正規労働者数、男性591万人、女性1299万人。正社員への転換希望者は、男性163万人、女性254万人。現状維持、非正規雇用の中で比較的安定していると見られている常用派遣で42%が希望。
http://www.mizuho-ri.co.jp/research/economics/pdf/policy-insight/MSI081226.pdf
グローバル化による労働分配率2極化傾向に 第一生命経済研究所
大企業や製造業では海外との人件費調整を通じて国内での労働分配率の低下傾向をもたらす一方、中小非製造業では、製造業から低賃金労働者を多く雇い入れ、安価なサービス拡大で、人件費増加し労働分配率が上昇傾向に。
http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/rashinban/pdf/et08_220.pdf
・12月の業況DI、89年の調査開始以来最悪の水準 日商LOBO調査
12月の業況DI(全産業合計)は前月比3.5ポイント低下のマイナス70.2で調査開始以来最悪の低水準。
http://www.jcci.or.jp/cgi-news/jcci/news.pl?1+20081226141850
・アルバイト・パート平均時給957円、3大都市圏初のマイナス…08年12月 リクルート
首都圏(東京神奈川1都3県)0.7%増998円、東海(愛知など4県)1.4%減の909円、関西(大阪兵庫2府4県)は1.4%減の898円。製造、物流、清掃などの時給で、マイナス幅が広がったため。
http://www.recruit.jp/library/job/J20090115/docfile.pdf
・今回の景気後退、4社に1社が雇用調整を実施 帝国データバンク
景気後退を要因に従業員を削減した(検討している)企業は26.9%に上った。業種別では製造業が35.7%中「輸送用機械・器具製造」60.2%。現行労働者派遣法「改正する必要がある」38.8%。
http://www.tdb.co.jp/report/watching/press/pdf/keiki_w0812.pdf
雇用保険法の改正法案要綱を労政審に諮問 厚労省
非正規労働者に対するセーフティネット機能や再就職困難者に対する支援、安定した再就職に向けたインセンティブの強化、育児休業給付の拡充、雇用保険料率の引き下げなど。
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2009/01/h0107-1.html
・「世界金融恐慌と今後の世界経済」を分析 内閣府
金融危機に伴うアメリカとヨーロッパでの景気後退、アジアでの減速の現状と見通し。
http://www5.cao.go.jp/j-j/sekai_chouryuu/sa08-02/index-pdf.html
・急速に厳しさが増す景気後退『日本経済2009−09』 内閣府
現在はほぼ横ばいで推移している雇用者数が減少に転じ、結果として、個人消費の減少も懸念されると指摘。
http://www5.cao.go.jp/keizai3/2008/1212nk/nk08.html
非正規労働者に柔軟なセーフティネットを 第一生命経済研究所レポート
「派遣切り」議論については、景気悪化に直面した企業がどこまで雇用責任を果たすべきかという点を明確にすべきと指摘。派遣労働者が平時には感じなかったデメリットを不況になったとき誰が穴埋めするのか交通整理をした上で、雇用保険の仕組みを充実させ柔軟なセーフティネットを提供する必要がある。
http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/kuma/pdf/k_0901a.pdf
・外国人留学生数、過去最高の12万3,829人 日本学生支援機構(JASSO)
前年比4.5%増。中国(7万2,766人)、韓国(1万8,862人)、台湾(5,082人)、ベトナム(2,873人)、マレーシア(2,271人)の順。
http://www.jasso.go.jp/statistics/intl_student/data08.html
・日本企業における留学生の就労に関する調査 労働政策研究・研修機構
日本企業に就職した留学生3割が、いずれ日本を離れ母国・第三国で働きたい。日本企業への就職を勧めたくない理由、トップは「出世に限界」。留学生の定着策、「異文化理解」「外国人向け研修の実施」で留学生と企業の認識にギャップ。
http://www.jil.go.jp/press/documents/20081208.pdf
・都内労働組合の推定組織率は26.4%、3年連続増加 労働組合基礎調査 東京都まとめ
http://www.metro.tokyo.jp/INET/CHOUSA/2008/12/60ici500.htm
・07年度の国民健康保険料453万世帯が滞納 全加入世帯の2割超 厚生省
市区町村の約7割に当たる1283自治体が赤字決算。
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20090116-OYT1T00868.htm
国民年金保険料滞納の強制徴収基準、所得200万円以上 社保庁
年金記録問題への対応に人手を割かれ低調な差押執行件数を「督促状送付者の20%以上」とする目標値を設定し通達。
http://www.asahi.com/national/update/0107/OSK200901060081.html

●ここ一両日のニュース
派遣村」にいたのは誰か?
30代25%、40代30%、50代以上35%。96%男性。日雇いも含めた元派遣40%。路上生活者9%)。
http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/090118/wlf0901181801000-n1.htm
名古屋市に無料宿泊所の開放求める 「受け入れ拡大は困難」と市
http://www.47news.jp/news/2009/01/post_81.html
<元派遣社員死亡>1年間職なく所持金90円、餓死か
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090116-00000047-mai-soci
京品ホテル:廃業 従業員側に「明け渡しを」 地裁が仮処分決定
http://mainichi.jp/select/biz/news/20090116ddm012020039000c.html

『彼女の職場』根来祐