2005-01-01から1ヶ月間の記事一覧

集団(共産)主義と〈個〉

「連帯」「団結」という集団主義と、フォーディズム(大量生産)は19世紀の双子の思想でしかない。なのに、フォーディズム&ポストフォーディズムを批判する側(社会思想)の根本に、集団主義っきゃプロトコルがナイってことが一番の原因。なのになおもそう…

連帯する為の〈個〉

この場合の解決法としては平たくいえば、抱え込んだ既得権益(資本)か自己理想をを捨てるかのどちらかであるが、ま、どっちも捨てられないと。だから第三の道「オルタナティブ」を模索するってことで、とりあえずの自己保留。で、なすすべもなく保留期限ギ…

資本裕福層の罪滅ぼし

どーも、「反資本主義!」とデカいフロシキぶちあげてるひとの中には、実は親にマンション買ってもらってたり、生活費はもとより、大学在籍満期+大学院などの授業料を親に負担してもらってたりという親族資本注入充実組(文化資本+社会資本+経済資本)な高学…

反資本主義運動の自己矛盾

商品サイクル/会社の寿命というのは確実にあり、一時期いくら権力化したとて、一定量を越えて飽和状態を迎えたら、衰退に向かう。マクドナルドが価格ガリバーでありえたのも数年でしかない。そして全ての価格は市場価値によって再編成される。そうした上に…

ユートピアな趣味生活

『スーパーサイズ・ミー』を見ても、あれを反資本主義映画と見るのは社会思想主義者でしかない。そゆ生活をおくるのは、そゆ「趣味なヒト」としかみなされない。何故なら、単一ファーストフードという商品自体が、とっくに世の中では陳腐化しているからであ…

モダニズム

文学/芸術などと称される19世紀文化は、資本制度化する(=商品化)ことに依って始めて、文学/芸術として成立ち現在まで生き残ったりしてるんぢゃあないんだろうか。たとえ「アバンギャルド」などど自らを称してもそれは変わらない。ヴォルプスヴェーデ、…

「労働」の形而上学

週刊新潮に拠れば、文学畑の学者が訳した『資本論』が売れてて、マルクスブームなのだとか。無論このハナシのミソは「文学」つーとこにある。 『資本論』が、「経済論」なのか「社会論」なのか、はたまた「思想(文学)論」なのかその解釈(批評)は、解釈の…

「正しい」余剰の趣味生活

延々、くだくだとカキコしてるけど、演繹的世界の中で批判するターゲットの状況が変わったら、当然批判状況も変わって先に決めた方法が通用しないことがあるって、ナンでつゆ程にも考えんのだろーというのがソボクな疑問なんですが。。。

社会思想的コジレ

いや、別にいーんですよ。ソレ独り静かにおやりになる分にわ。そゆ自己肯定作業だって自覚なさってる分には。昨今問題となってるペドとか「フィギュア萌え族」でつか(苦笑)そゆ数多の趣味や信仰による自己満足/自己肯定と同じ、「文学」だって申し上げて…

トレンドに振り回されるPC

元々、帝国主義に抵抗する主体=反動として登場した「社会思想」と、それを打破すべく建設された社会主義国つーのの末路がどれもロクなもんぢゃあない、他国でなく自分たちの左翼(学生)運動のボロ(連合赤軍事件等)が次々明らかになっちゃったのが70年代…

『現代思想』

学者は論文がカキコできりゃあいい、活動家はアジ出来りゃあいい。その手のシンパは、そゆ方々の表現キーワードをコピペすることで、自己正当化できりゃあいい…。 ま、そゆ内輪の循環運動が『現代思想』なのかなと想う。そもそも昨今の現代思想ギョーカイの…

内面の問題

星野智幸さんが、「内面の問題」をお書きになっておられる。 端的に言えば、「主体は幻想である」と語る人の主体はがっちりと守られていて、手つかずだったのである。冒険をし、形骸化した形式を壊していく「野蛮」で「顰蹙(ひんしゅく)」もののクラッシャ…

四の五のいう余剰

左派思想運動にとっては「怒り」が大切らしーが、ワタクシ的には、刻一刻と事態が悪くなる時に、問題解決を回避する為にネグって呑気にPCしてんぢゃあねーよ四の五のいわずに出来ることからヤッてかんかぃい!と、アクロバットな理屈を無理無理こねて志の高…

文学運動

だからといって、私文学運動を排除しようというのではない。問題意識に対する「主体」の持ち方から結局、プロレタリア文学の昔からこうしたリベラル陣営がすべからく私文学せざるを得ないというこの表現結果。いや文学形式においてもっとも自己吐露解消出来…

食って生きる

無論オレ様自己完結する思想信条の自由は充分にある。ま、ダイハードな世間には、固有の活きざまを勝手に一緒くたにするんぢゃあナイよボケ!といって、フツー=日常を実践する、平和ボケかまし、のんきに腹をすえてかかりゃあいーのことよ。元々、制度から…

藻前モナ〜

栗原祐一郎さん曰く、「矢部のいう「労働」「労働者」はポストフォーディズム的労働を指しているので、そのへんをどう考えるかってあたりが最終的には争点になるでしょうが」とお書きになられてる。id:ykurihara:20050116 問題の文章では最初にヴィルノ『マ…

カラダブーム

前にカキコしたように、ココロブームに引き続いて現在はカラダブームである。絶対/正義をいうこと=理想を追求して止まない現在であるが、そうしたゆれうごくココロ以上の「絶対基準」としてのカラダという意味あいが強い。そしてそのカラダとは、手入れし…

心脳問題

近代以降、体制政府も右翼も左翼もおしなべて科学/思想/文学といった「教養」は、こういったもの=身体共同体を幸先に排除すべく身体矯正を施していった*1。そしてそれが世間にある程度浸透したが故に、「老い」=不能不全状態が過剰なる不安を今日に引き…

中世

身体を把握するってことは、なによりも生命をコントロールするってことに他ならないのではないだろうか。人間が他の生命現象=生物とは違う!と大きな声で言い張る西洋思想を始めとして、そうした「生命をコントロールする自我」を持つ=文化文明それこそが…

身体論

前回カキコしたオニババ本著者が免疫学の専門家ということで、真っ先に思い浮かぶのは、多田富雄『免疫の意味論』。これは、他を排除する為に自己をも破壊してまでも自他を厳格に峻別する生理機能である免疫作用を通して、「自己」の意味と作用による影響を…

依り代さがし

カキコに呼応していただいたことに対する、雑駁な(いつもか、そりわ)反応あれこれヨタ。

フェミの衰退

「負け犬」という価値を反発しつつ辛くなるのは、幸先にその価値観の尺度が正しいと解釈する思考回路が自己にあるからにほかならない。「オニババ」と指摘されてムキになって反論するのも同様。これは勿論、他者を「負け犬」「オニババ」とラベリングする行…

オバはんのすすめ

昔カキコしたけど、三砂のいう「やさしくないおばあちゃん」=「枯れない女」は、〈女性〉性へのこだわりが強いからぢゃあないのか。だとしたら、世間が無理やり要求して無理やり引きずり降ろす「〈女性〉性という価値観から降りる」って考え方があってもい…

オニババ本

やきにくミーティング(笑)での課題図書。『オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す』。ざくっと読み。Amazonのカスタマーレビュー、118人もカキコしてるってことにまずびっくり。星2ヶ半。評価としては、まーそんなモンか。 ネットでもさんざん語ら…

オバはんライフ

知人のジェンダー問題の活動家を紹介したら、ワタクシもジェンダー専門にいつのまにかされてしまっているやうな(苦笑)。ま、そもそもアチコチにヨタしてる物見高いワタクシのウンコすわりヲチ姿勢がゴカイの元なんだすが。それもこれもネタのひとつなんで…

問題のエンターテイメント化

斎藤環のひきこもり論にワタクシが感じた違和感は、多分この社会演繹的なものと臨床帰納的なものを統一しようとして、文学的になってしまうとこかとおもう。それはひとつの読み物としては(不謹慎な言い方だが)とても面白い。それゆえ、読み物=エンターテ…

『ひきこもり』概念の余命

hotsumaさんの「ひきこもり」概念の余命は長くない。を受けて、「ニート」や「社会不安障害」に収斂される「ひきこもり」に強い違和感をお持ちになって「「ひきこもり」という語には、まだ運用益があるように思う」とueyamakzkさん。 しかしこの細分化は、様…

フリーターとは誰か

失業という言葉には、為すべきことがないというイメージがつきまとうが、失業者はけして何もしないわけではない。失業者のほとんどは、働くために失業する。育児のために失業する人や、研究や学習のために失業する人が、どれだけの規模にのぼるか想像してみ…