スカーフ着用で表象されるアイデンティティ問題

結局、「ムスリムのスカーフ」が問題なのではなく、フランスのドイツのトルコの「ヨーロッパのスカーフ」が問題となっている訳である。 スカーフを着用する娘の多くは移民またはその子供であり、ヨーロッパ社会の自由を謳歌しながらも(差別を含む)様々な要…

ジェンダーイシューとしてのスカーフ着用問題

今度は個人的見地から見てみると問題は、当人/ムスリム/社会の3つの段階にある。個人的には、端的にいって、ムスリム女性に対してスカーフを取れとは、セクシュアル・ハラスメントに値する。当人が文化的に「慎み」の意味で覆っているものを公衆の面前で取…

トルコのスカーフ着用事件

ムスリムが多いトルコでは、「ライシテ」をモデルとした「ライクリッキ」というフランスよりも厳しい政教分離政策を取って世俗主義となっており、宗教を国家管理下に置いて制限している。 1925年帽子法で、フェズが禁止となった。しかし1968年、女子大学生が…

ドイツのスカーフ着用事件

植民地を殆どもたなかったドイツには、戦後個別雇用協定で移住してきたトルコ系労働者などの300万人というフランスに次ぐムスリムがいる*1。フランスの厳格な政教分離とは違って、ドイツは国家と教会を分離する明確な規定は無く、教育行政に関しては、州(ラ…

フランスのスカーフ着用事件

フランスには、ヨーロッパ各国では一番多い約500万人のムスリムがいると推定されている。マグリブや西アフリカそして東南アジアといった植民地から移民してきた人々である。 事の起こりは1989年。公立中学で3人のムスリム女生徒がスカーフ着用して登校した…

ヨーロッパ文明の起源

ギリシャ神話に、フェニキアの女王エウロベというのが登場する。エロウベ=ヨーロッパの語源である。彼女はレバノンあたりに住んでいた。それをゼウスが一目ぼれして、牛に化けて、背中に載せて海を越える。これを「エロウベの誘惑」という。こうしてギリシ…

再構築を迫られるリベラル・デモクラシー

さらに前回id:hizzz:20090309の続き。

「ホロコースト」はユダヤだけ示す、果たしてそれが正しい歴史定説か?

ネットの一部で「ホロコーストのユダヤ唯一性」を主張して、ナチの「最終解決」撲滅作戦を、ユダヤとその他(ロマ、ポーランド人、犯罪者、障害者、同性愛者)とは区別すべきだとする説がある。端的に言えば、ホロコーストに関して、ロマその他を含めないで…

EUとロマ・少数民族

1999年欧州評議会は、「EU加盟申請諸国におけるロマの地位改善のための対策に関する原則」を決定した。「OSCE(ヨーロッパ安保協力機構)の公約に則り、ロマに帰属する人々が直面しているきわめて重大な困難を認識する必要がある。そして、安全な機会均等を…

ホロコースト生還者たちの戦後

かろうじて生き延びて、収容所から生還した多くのロマは、無国籍者とされた。やっとこさ収容所以前の土地にたどりついても、もともと厄介視されていた村落は、物理的にも破壊されており、また生き残った同族もわずかであるので、昔ながらの大家族集団による…

国民の線引き

同性愛者や精神病者や犯罪者といった個人属性の他に、ナチが収容所送りにした人々の民族属性として、ユダヤとロマ(スィンティ=ドイツ・ロマ)*1を名指ししたということは、ほかの民族と比べて、彼らが「土地」に根差しているかいないかの大きな違いがあっ…

「ジプシー」と呼ばれたロマ

エジプト人=エジプシャンが転じた「ジプシー」という呼び名は、日本ではポピュラーであるが、その名称は蔑称として意味づけられたことが強いので、現在では公式にはその彼らは「ロマ」と名指す。その人々は、インド北西部パンジャブ地方起源地として、8〜1…

もう一つのホロコースト

欧米で神聖化したホロコーストの悲劇と、それを金儲けに利用するユダヤ系産業資本を批判して、「ホロコーストの唯一性を主張することは、ユダヤ人の唯一性を主張することになる。ユダヤ人の苦しみではなく、ユダヤ人が苦しんだということが、ザ・ホロコース…

人権理念の周縁に留め置かれ続ける流浪の民

『ショアー』などの商業的成功も手伝って、一般的には「ホロコースト」「ディアスボラ」といったら、ユダヤ民族迫害が第一義に想像されてしまうのだが、迫害は彼らだけの独占問題ではない。id:hizzz:20090204で書いたように、大戦後は東ヨーロッパに住む多く…

変質したシオニズムとアメリカ

シオニズムの日本のイメージは、ユダヤ教という宗教を結びついた保守・右派的印象で把握されてることが多いのだが、実現しているキブツ(集団農業生産)などの生産システムに見られるように、根本的には社会思想から来歴しているものである。 二国家共存案・…

情報の二者択一化と内輪に丸められることでの、問題の矮小化現象

社会がより多元化しアイデンティティの複合状態が一定の正当性を持って受け入れられ始めた結果、イスラエル側・パレスチナ側双方のエスニック・グループによる政治活動、いわゆるエスノ・ポリティクスが盛んになった。ただそれは、伝達される上でいろいろな…

重層的アラブ社会に持ち込まれた国民国家

一般的には「ユダヤ人対アラブ人」という対立図式でイスラエル/パレスチナ「紛争」が表象されるが、ユダヤ人とアラブ人は本来的に別個の実体としてぱっきり別れて対立してるのではなく、そこが元々アラブの土地でもあって、お互い共存して生きてきている限り…

ヨーロッパの鏡像たるイスラエル

イスラエル=特殊としてのユダヤ教と、ヨーロッパ=普遍としてのカント主義の接点は、どこに見出されるのか。「ユダヤ教と、ドイツ哲学の本質としての観念論の歴史的頂点との親縁性、カントのいう契機との[普遍的法則の自律性、自由と義務といった]その基本…

ヨーロッパとアラブ、差異のイデオロギー

米国籍パレスチナ人キリスト教徒であり、イスラエル/パレスチナ二国家分割案の創始者の一人として10年以上パレスチナ国民評議会(PNC)の議員としてパレスチナ解放運動を担っていたエドワード・サイードは、イスラエル国家が行ったユダヤ人の意味づけ=ユダ…

ホロコーストの記憶とディアスボラ・アイデンティティ

前回書いたとおり、ドイツは加害者の「過ぎ去らない過去」を負から正のアイデンティティに変えて体制化していったように、イスラエルも又、ホロコースト被害者たる過去価値を変容させて受け止めようとした。 当初シオニズム主流派のイデオロギーは、ヨーロッ…

普遍と特殊のアポリア

「ヨーロッパ」の対置語は「オリエント」なんだけど、歴史的にはオスマン帝国の影響を受けて、非オスマン帝国な自己を「ヨーロッパ」と規定してその構図をひっくり返そうとした始まりがヨーロッパ帝国文化ってハナシで、そゆ裏返しみたいなことが延々と。。…

寛容・歓待・コスモポリタニズム

デリダ&ハーバマス共同声明発表前、911を強く意識して編纂された『テロルの時代と哲学の使命』ジョヴァンナ・ボッラドリは、ヨーロッパ知識人のテロリズムへの作業について2人に個別インタビューをしながらその政治姿勢について考察してる。 米政府の「テロ…

負を正とした国家アイデンテイティ

非キリスト教徒を含めて難民申請受理されなかった避難・強制移住者達の援助・警察からの保護活動に深く関わっていたドイツ福音教会は、1965年『Denkschrift 福音主義の覚書』を発表する。本来直轄地域民の為の1宗派施設であった教会は、肝心の教区民が追放…

国民国家と領土

それまで為政者たちの権力欲に基づいた軍事・政略上の力関係で決まっていた領土=国であったが、19世紀以降の「ネーション」の名を負う国民国家たる領有範囲とは、国民=民族が本来持つべき領土というナショナリズム論理が台頭してくる。それは、自己領土を…

人文理性から科学論理性へ

18世紀博物学の秩序整理となった進化論は、社会哲学者が歴史家の「直観」の裏付けとして使われ始め、科学に対する社会の投影方式は、資本主義社会の階級利害や植民地支配といったものの正当化と批判に持ち込まれる。 進化論は18世紀の博物学者が精錬してきた…

人文理性の戦い

そうした教皇vs国家の人文理性争い=宗教改革で国家が勝利を収めたところで、フランスの啓蒙文化が華開く。しかしなんだかんだいってっても国家の対抗馬=ネガとしての人民でしかなかった啓蒙支配思想に対して、その次はブルジョワvs人民の人文理性争い=革…

神的支配から人的支配へ

『ヨーロッパとは何か』クシシトフ・ボミアンに依ると、12〜16世紀にかけてのヨーロッパでは3つの文化が存在してた。ラテン語の聖職者スコラ文化、各地の俗語で朗読・口承されたネイション形成途中の戦士・騎士文化、北イタリア・フランドル・ラインラント…

国家の肖像

国家・国民・民族とかは、近代がこさえた『想像の共同体』ベネディクト・アンダーソンであること定説にはなってはいるがしかし、そもそもそゆ概念、空想だろーが仮装だろーが実装だろーがここ日本ではいまひとつ馴染みがないお仕着せなもんでしかない。「ナ…

貧困を誘発した労働関連リンク集

●労働関連の政策・調査 ・派遣労働者数384万人前年比20%増 07年度集計 厚労省平均賃金(8時間換算)は「一般労働者派遣事業」9,534円(前年度比9.8%減)、「特定労働者派遣事業」1万3,044円(同7.9%減)。http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/12/h1226-3.html…

客観的考察力の貧困によって引き起こされてる人権侵害

なんだって「人権」などという大上段の概念を今更、このようにくどくどと記しているのかといえば、政治家・マスメディアなども含めて、スキャンダル・スペクタクルを主眼とした言を左右にした感情的煽動なお遊びがすぎて、問題の本質の矮小化・掛け替えとい…